僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

妻について⑥ 移住に際して

昨日は、フットサルの練習試合があった。敵チームは県1部の強豪で、県内で少ないちゃんとフットサルをやっているチーム。

以前、練習試合をやった時は5分一本で4分半くらいボールを保持されていたような気がする。

だけど昨日は、なんと勝利した。昨シーズンは県2部で年間2勝しかできなかったチームが練習試合とは言え、県1部の上位チームに勝つって素晴らしい。

 

 実はこのチームをやめようと思っていた。この練習試合を機会にやめて、東京に行こうかなんて考えていた。そういうことを考えて、だけど動きだせないっていう時間が苦しくて、運動をして有耶無耶にしていた。運動するとストレス解消になるよね。

そんな自分が嫌で、自分が嫌だからチームに対しても嫌な感情ばかりが先行して、先行するからプレイも上手くいかなくてってなっていた。だからそんな自分に踏ん切りをつけるためにまず、チームを辞めようと思っていた。

だけど、勝っちゃった。初めて自宅近くの体育館(いつもは車で40分くらい)でやったから晴れた休日の道路を自転車で行けて、好きなサングラスと好きなモンベルのジャケットを着て、クイーンの曲を聞いて、最高の気分だった。

自転車に乗って帰る時、チームで仲の良い2人が、サングラスをかけた僕を見て「はろー、あゆーふろむ?」ってふざけてきた。その、くだらない戯れが春の陽光のせいなのか、外国人への憧れている僕が理解してもらえたっていう嬉しさなのかわからないけど、とても愛おしく思えた。

その日は、午後からも練習があってそれにも行ってみようって思った。僕は車を持っていないので妻に練習に行きたいと言うと、仕事で臨時収入があって、ガソリン入れられるから行こうと。

なんかよくわかんないけど、辞めない条件が揃っちゃったなって思った。

 

僕は、決断が先に来ることが多い。決めるのが先で、その後に色々と取っ散らかった事態を片づけることになる。

その決意が先、という動き方は僕の脳の特性みたいなもので、多動とかそういう傾向によるもの。

前の仕事を辞める時も、辞める!って決めたのが先で次の仕事も決まってなければ、何をするかも考えていなかった。今考えると、職場の不満で心をいっぱいにすることで、未来への不安とかを分からなくしていたんだと思う。

 

だから、今シーズンは選手登録はしないで、練習だけにしようって決めてみた。近い将来辞めると思うけど、今は緩やかな繋がり方をすることにした。

 

 

 今回も、衝動に駆られてフットサルチームを辞めそうになった。けど、今すぐには辞めない、ってい曖昧な決断をすることにした。曖昧でも、わからないことでも、今すぐには決められないってことでも、自分で決断したことならオールオッケーって考えている。

その自分が許せると、自分の中の許せるエンジンが回転を始めて、それが回り続ければ自分が思い描く自分になれるんじゃないかって思う。

なんか、スピリチュアルっぽいな。けど、多分本当のことだと思う。

 

あぁまた前置き長くなっちゃった。長野に来た時の話。

 

 僕は、彼女と同棲を始めたとき、大学院生と公共施設の職員を掛け持ちしていた。

だからめちゃめちゃ忙しかったし、精神的に負担が大きすぎた時期だった。

 

この公共施設の職員という仕事は、とても特殊で、「若者支援」を謳う施設だった。僕は、この仕事がとても好きになっていたし、やりがいもあった。

給料は安いけれど、職員という肩書を始めてもらった僕は、ある意味での万能感に浸っていたと思う。

僕は肩書に興味ないって人に言うけれど、自分が何者なのかわからない人にとって肩書って、すごくポジティブな影響を及ぼすと思う。それが、他人より(一時的にでも)偉くなれるものだったら尚更。

だからきっと僕は、「職員」である僕が大好きだったと思う。前の投稿の「若い男性で、同棲・結婚をする人」とか、「自分の子どもで守るべき人」、「自分の弟で、自分より馬鹿で手が掛かるし手を掛けたい人」よりも、ずっとセルフイメージが良い。

 

なんなら、「職員」の前に「感じの良い」とか「仕事のできる」とかが付けられると、もっと良いよね。だから、僕はほかの人より感じは絶対良い自信があったし、同じ世代の人よりも絶対仕事をできるようになろうって仕事を頑張っていた。

 

そのセルフイメージは自分が選んだものじゃないからなのか、意外と脆かった。

 

詳しくは別稿にしたいけど、好きじゃない人が異動になって上司となり、僕はあっさり仕事を辞める決意をした。

 

辞める決意をしたは良いけど、次は?とか、って考える。僕は何が不満なんだろうかって。3日くらい考えていた時、高校時代の友人と久しぶりに会った。

彼とは今でも仲良くしていて、僕が精神的に死んじゃいそうになっている時、なぜか絶妙なタイミングでラインをくれて、話を聞いてくれる貴重な存在。

僕の合理的じゃない話を、そうなんかーって受け止めてくれて、僕が切り出しづらいこともまるっと吐き出させてくれたと思う。まじで感謝してる。

 

彼と話したのは、いかに自分が社会不適合だっていう話だったと思う。

これもいずれ書こうと思うんだけど、僕は、自営業をしたいって高校生くらいから考えている人だった。

それっていうのは、父親が自営業だからとか、サラリーマンをやるのは無能だっていう家庭の考え方に起因していると思う。

特に、後者は根深いというか母子家庭ゆえの世間とのズレだと思うんだけど、サラリーマンを社会一般ではどう捉えるのかという話は僕の家にはなく、単に侮蔑の対象としてしか存在してなかった。

 

そんなこんなで、自営業をやりたいと思っている、若者支援の仕事は大好きだった、っていう話をしていたら、友人もそれに近い想いを持っていると。

だったら一緒にやろうよ、となった。

彼は、バックパッカーみたいな趣向があって、海外が好き。それでいて、田舎が好きだと。

その頃の僕は、仕事で音響をやったりテントを立てたり、男臭いことが前よりできるようになっていた。中でも、男臭い音響が出来て、料理もできて、力仕事もキャンプもできる職員がいて、その人に憧れに近い感情を抱いていた。

 

だから、DIYとか、サバイバルとか、そういうものに対して出来もしないのに出来るようになりたい!って思っていた。

 

わかりますか?皆さま。得意の他人任せ判断がここでも炸裂するんです。自分が好きだから、じゃなくてその人が好きだから、で判断しちゃう。

 

好きな友人が田舎好き+憧れの職員がDIYとかできる+自分で仕事がしたい=古民家=長野県

 

なんです。そう、僕が長野県に移住したのは、多分これだけのこと。書いていて冷や汗がでています。あぁこの投稿を公開したくない。

 

その時の僕は、滅茶苦茶行動的だったと思う。

長野県まで実際に行って、古民家ありますか?とか聞いたり、いろんな人を頼りまくっていたと思う。その時にお世話になった方々、本当にすみません。ありがとうございます。

そう、妻との話。仕事を辞めてから、妻と関係は悪化する一方だった。移住にむけて動いているなかでも、仕事をしていないとやっぱり満たされずモヤモヤする。お金がどんどんなくなっていく焦燥感もあって、妻に八つ当たりしてばかり。

僕が稼いでいないなら、自営業の彼女が稼げばいいじゃんって思っていたし、実際にそれに近い言葉を強い口調でぶつけていた。

何度もケンカをして、離婚するしないの話にもなった。「こんなんじゃ長野に行けない!着いてくる気あるの!?」って恫喝していた。

 

親に、移住の話をしたら、案の定、「連れて行くんじゃない」と。

だけども、僕は、親の言いなりにはならないし、僕がこうしたい!っていう話を親が受け止めてくれなくて、何度も泣いた。

泣かされている僕を見て、妻は慰めてくれた。ある意味、2人だけだと移住まで漕ぎつけられなくて、親が悪者になることで僕と妻は結束が生まれて移住までできたんだと思う。

これは、後から聞いた話だけど、長野県に来た理由は1人になりたくなったからだって言った。

 

ケンカしたり仲直りしたりを繰り返しながらも、何とか移住までこぎつけた。

ここからの妻との関係も、すごくしんどい。