僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

掃除をする理由

今日は天気が良い。天気が良いと心も晴々するようで、朝からテンションが高い。

最近、掃除とか整理するのを積極的にやるようにしている。何故だかわからないけど、目についた時にすぐやるようにしている。さっきは窓を拭いた。手垢と土埃で汚れた窓越しに見える空と、水拭きして乾拭きした窓で見える景色は全然違う。すごく良い。

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廊下に出しっぱなしにしていた要らない洋服のゴミ出しもしたし、毎朝10分くらい空気の入れ替えもしているし、靴もそろえた。あ、床掃除もした。

 

僕は部屋をキレイにするのも維持するのも苦手で、掃除には相当気合をいれないとできない。そんな掃除をする理由を考えてみたんだけど、きっと大きく2つあると思う。

ひとつは、これから作業というか仕事をしようとすることに対するちょっとした焦りとか不安感を打ち消すため。テスト前に机を片付けだすのと一緒だと思う。

毎日この掃除を続けていくと、だんだんやることが無くなってくる。そうすると、その掃除のプロセスが省けて、仕事に沢山打ち込める!?すごい!って思ったけど、別に僕は仕事だけをするために生きているんじゃないんだよなって気持ちになった。

 

もうひとつも仕事絡みなんだけど、気を散らせないためだと思う。作業をしている時に、なんとなくここが汚いなとかそういう細かいことが整合性なく気になることがある。それって作業を中断する理由になっちゃう。

「いや、僕は作業を中断しているんじゃなくて掃除をしているだけですからね~」って心の言い訳をしてしまう僕をこれまで何度も見てきた。

僕にとって気が散る要因ってすごく沢山あるんだけど、一方で気を散らせないとうまく集中できないっていう時もある。

例えば今このブログを書いている時も、テレビをつけている。僕の脳は、過剰に働きやすい性質があると思っていて、シーンとしていると関係ないことや過去の嫌なこととかで頭がパンパンになる。だから、そうならないように音を小さくしてテレビをつけていると、脳がすこーしだけ処理を続けている状態になるから変な考えが頭をよぎりづらい。

でも、常にテレビをつけてれば集中できるわけではなくて、日ごとに、作業に没頭できる環境が違うのが僕の難しいところ。

昨日であれば無音がベストだったような気がするし、一昨日はじゃんじゃん音楽を聴いていた。あぁ難しい僕の体。

 

でもこういう集中できる環境について考えていると、僕が仕事というか作業をとっても大事にしているんだって気が付いた。だって、集中するために掃除したりテレビつけたり音楽聞いたり、色々と試行錯誤している。試行回数が多いものって大事なものだよね。

そう、集中できる環境づくりで思い出したけれど、もうひとつ気を付けているのが過食を避けること。

僕は食道楽で食べるの大好きで、人生の半分以上は食べ物に関して考えて生きているんじゃないかってくらいに食べ物と食べることが好き。旅行に行ったら、観光はしないでひたすらに飲食店→休憩のために喫茶店→飲食店を繰り返す。食べ物モンスター。

 

僕が沢山食べるのには、理由があると思っていてひとつは前述のように好きだから。そしてもう一つはストレス解消の要素。

これは厄介で、口につめこんで胃袋に突っ込んで消化するまでが、飲酒とか喫煙みたいにリラックスであり自傷行為であるんだと思う。自分を傷つけることで落ち着く、みたいな。

けど、食べすぎって結構しんどいもんで、食後動けなくなるし、眠くなる。布団に入ったあとは眠りが浅くなってあんまり良いことがない。

そして、何より思考が全然進まない。僕は今働いてお金を稼いでいるわけじゃないから、思考だけはクリアにして進めていきたいから、その満腹感は大きな障壁であって、ひいては一日の満足感を下げちゃう。

だから気を付けている。特にごはん。食べるなら昼に食べて、夜はごはん無しとか、少な目。

あとはニンニクとかニラとか生玉ねぎも注意が必要で、夜眠れなくなる。きっとアリシンの効果だと思うんだけど、口のにおいというか胃の不快感というのに襲われて眠りが浅くなって結果次の日に持ち越す。

僕の中での仕事と食べ物のパワーバランスに微妙な変化が起きていることに気が付いた。3日前までは、食事>仕事。でも今は逆。

というのは、今やっている作業というか仕事が身について、自信になってきている証だと思う。いいぞ、僕。