僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

眩暈

理由は分からないけど、眩暈がひどくて朝から起き上がれなかった。ブログを書こうとしてパソコンを立ち上げて、画面に向き合ったら全然文字が見えない。視力の問題ではなくて脳とか血管系の問題だと思う。

運動不足?塩分の取りすぎ?糖質の取りすぎ?抵抗力の低下?妻とのケンカ?等々思い当たる節は沢山あるけど、わからない。

元々僕は片頭痛持ちで、働いていた頃はしょっちゅう酷い頭痛があった。症状が出る歳には、傾向がある。睡眠不足(過剰)、栄養不足の2つ。特に札幌にいたときは、コンビニごはんを食べていてかつ睡眠時間が足らないということがままあったので、結構苦しめられた。

多分だけど、脳の血管とか色々なものがストレスに弱い作りになっているんだと思う。僕は体調も感情も、3つ悪いことが重なると暴発して寝込んだりふさぎ込んだりする。

 

2日前くらいから妻とまたケンカしているけど、それも3つくらい理由がある。そのひとつが天気。妻には申し訳ないけど、きっと関係している。

春なのに低気圧が原因とかで大雪が降る寒い日があって、その日からぐっと心身の調子を落としている。

最近読んだ「うつぬけヌケ」という本でも

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

気温の変化が、10度以上ある日に鬱がリターンしやすいと気が付いた人のエピソードが書かれていた。僕もそれだ!って思った。

地元の札幌は雪深い街で、年間の半分くらいは寒くて暗い。長野に来た理由は大してないけど、こっちは天気が良いというのが決め手になった。

 

この本を読んで、凄く遅いけど、僕は移住を決めるくらいには心身の調子が天気に左右されることを認識した。

 amazonnエコーが家にあるんだけど、それに1週間の天気と温度のグラフを出してくれたら便利だよなぁと思う。もうあるのかな。調べていない。

 

てなわけで、この時間まで寝ていたんだけれど、寝ている間どんどん鬱とか希死念慮とかの塊が僕に迫ってきているのもわかったし、僕の方からも近付いているのが分かった。

体は伏せているのに脳がオーバーヒートみたいな状態で、心臓がバクバクする。夢では謎の車に乗って、血管のようなグロテスクなものの中を凄いスピードで走り回る。当然ブレーキなんか無い。

ハッ、となって起きて大丈夫、大丈夫ってつぶやく。薬を飲んだ方が落ち着くだろうかとも思ったけど、僕の体では薬を一回飲むと抜けるまで3日くらいかかるのが分かっているからなんとか留まる。

 

こういう時の思考って「何が悪いんだろう」ってなる。悪いもの探しの状態。

食べ物が悪いんだろうか、天気だろうか、いやこのマインドセットだろうか、本を読みすぎたんだろうか、等々いくらでも出てくる。

僕は、この心とか精神というもので食べていきたいって思っている。だからずっと付き合う必要があるとは思っている。

けど、3日くらい前まではドンドン元気になっていたから辛い心を忘れて、起業とかビジネスの本を読み漁っていた。

鬱と起業は正反対にあると思う。鬱だったら行政のお世話になって、起業だったら鬱なんか関係のない世界に生きて、という具合にどちらかに片寄ることでしか成しえないのか、ってところまで思考が彷徨いだす。

 

人も物も曖昧に存在していて、真っ黒のものも真っ白のものも存在しないって気が付いているはず。クリスティアーノ・ロナウドだって卑猥なパフォーマンスをするし、犯罪者だって子供に笑顔を見せるはず。

曖昧を許せないのと白黒はっきりさせないと理解できないのは想像力が働かない時。

 

そう、だから僕は今弱っている。

 

ある意味で、弱るのが好きなのか、って自問する時がある。

きっとYES。

強くいることだけが正解じゃない、弱い部分もあることがバランスが取れていて美しいって思っている。

僕だけかもしれないけれど、ものとか現象とかって働きと見た目の美しさのバランスが取れている時に、機能美という言葉を当てはめられる気がする。

機能美は僕にとって最高の誉め言葉。見た目が美しいかつ機能的。機能が優れているから見た目が美しい。その両方が最高のバランスで成り立つ時に機能美!!って形容したくなる。

例えば、アイフォンの小さいやつ。スキューバダイビング用のリュック。ハイエースもそうだと思う。四角いものばっかり。

 

僕の心も機能美でいるために、バランスの良い在り方を探している。