僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

酸菜と宇多田ヒカル

昨日は半ズボンでランニングをしても汗ばむくらい暑かった。短いソックスにsuccer junkyっていうスポーツブランドの上下。ロゴがジョジョのイギーみたいで可愛くて好き。上は蛍光オレンジで下はグレー。それにサングラスを掛けて走っていたら小学生にじろじろ見られた。

朝は寒かったから、妻と夜は酸菜鍋にしようかなんて話していた。夜もしっかり寒くなって、鍋に向いた気温にちゃんとなった。

酸菜鍋というのは、中国の酸っぱい白菜の漬物を入れた鍋のこと。時々行く中華料理屋さんがあって、そこで出されていたのをコピーした。

この料理は、中国では春節のお祝いで食べられるらしい。調べたら大きい壺に沢山の白菜がみちみちに詰められていて、美味しそう。

発酵に、ロマンを感じる。キムチも野沢菜も酸菜が好きなのも発酵ロマンへの憧憬か。

菌を増やして、風味を変えるって要は腐らせること。こち亀で新人時代のキャラ設定だった中川が、納豆を腐敗した食べ物ですよね、と揶揄していたのを思い出す。

 

塩で味をつける、とかスパイスで辛みを!みたいなのと一線を画す、菌を増やしての風味付け。人の手で、かつ人の手が届かない領域に任せて、菌を増やす。あぁこの矛盾と奥ゆかしさがたまらない。

発酵への「憧れ」は、僕にとって「手の届かない、菌任せ」の部分がそれなんだと思う。ワンピースを目指す海賊しかり、アイヌの金塊を目指す不死身の杉本しかり。まだ見えていない、手の届かなかった代物。発酵。

好きなものの理由を自分に問うのって面白い。発酵は85%くらい言語化できたと思う。

何で好き、って聞くって他人にやると野暮だし、人に聞かせると「知らんがな」ってなるから言えない。

 

でも僕が面白いんで、もう一個書いてみたい。宇多田ヒカルについて。

僕が最初に買ったCDは、B`Zの「今夜月の見える丘に」。ドラマの影響。多分その次に買ったのが宇多田ヒカルの「COLORS」。僕は日本人の音楽をあまり聞かない。好んで聞こうとするのは宇多田ヒカル玉置浩二井上陽水。 

 

COLORS

COLORS

 

歌が上手い下手とかは、置いておく。めっちゃ上手だと思うけど技術的なことは分からない。

僕に響くのは、彼女の「切なく孤独な声で歌われる独自的な歌詞が日本語で聞こえてくる」のが嬉しいからだと思う。だから彼女が英語で歌う唄には興味が全然ない。

英語でいいんだったら、ジャンルは違うけどHeather Headleyとかを聴く。 

ノってきたから、「切なく孤独な声で歌われる独自的な歌詞が日本語で聞こえてくる」

を分解して考えたい。

まずは「切なく孤独な声」の部分。いつかのインタビューで、彼女が「私の歌は、部屋で一人イヤフォンとかで聞くタイプの歌」と言っていた。

そう!それ!みんなで大声で歌い合わせるのは、世界にひとつだけの花とかがいい。彼女の女性性が強くて、かつハスキーで、未熟さも感じさせる声が僕の心のどこかにある、寂しい部分に引っ掛かる。

彼女は言わずと知れた藤圭子の娘。何も知らないけど、藤圭子は所謂母親役は難しい人だったんだと思う。テレビで急に海外に連れていかれて、いつ戻るかもわからなかった。と話していた。でも娘であるヒカルは、才能も声も引き継いで生まれてきた。母親に対する愛憎入り混じる感情が、切ない声へと転化しているんだと(勝手に)思う。

ここまでが声の部分。

 

次は、「独自的な歌詞」。

僕が宇多田ヒカルが好きと公言する決定打になったのは「花束を君に」。

歌いだしの歌詞、「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」は、何回聴いてもぞわぞわする。

「幸せになろう」のサビの部分。「幸せになろうオフィシャルな野望」。ここも大好き。メロディーも言葉も何てことない(失礼)のに、そういえば幸せを願うのは公式的だよな、ってはっとさせられる。

キャッチーな言葉も、難解な意味も込められていないのが大多数。なのに、言葉の組み合わせだけで、こんなにもオリジナリティが発揮されているのが彼女の凄さ。

歌詞作りで、日本語を日本語のまま考えた曲と、日本語を英語で考えた歌があるんじゃないだろうか。何も情報が無いただの勘。バラードは日本語っぽい。それ以外は英語っぽさを感じる。僕は前者の歌が好き。

以上が、宇多田ヒカルを好きな理由の説明。

 

結局のところ、彼女の歌は母に向けられて書いているんだと思う。孤独だよ、って。だからこそ愛を歌っても寂しくなる。

その部分の感性が、僕は異常に繊細にできている。だから響くんだと思う。