僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

愛について

今日は午前中から、妻とエスプレッソを飲みに行った。

&espressoという、僕が住んでる上田市のお隣、東御市にあるカフェ。

エスプレッソと銘打っている店は、行っておきたい。

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味は、僕の好みより数段酸っぱい。店主は僕と同い年で、気さくな方だった。

 

 

最近気が付いたことがある。それは人間は愛の塊だってこと。ほとんど全てのものが愛で出来ていること。

愛っていうと、セックスとかラブロマンスみたいなことをイメージしがち。けど僕の認識では全然違う。

 

EMIさんの「僕が僕でいるためのパラダイムシフト」で、主人公が紆余曲折を経て自己愛に満ちるシーンがある。

自分が愛おしすぎて涙が出そうになる、自分が愛で包まれている感じ。という表現。

最近になって、僕もそれが分かるようになった。

これさえあれば、物理的に不可能なこと以外はなんだってできるっていう、謎の自信。揺らぐことのない自己信頼。

多くの人が子供の時にはそれを備えて生まれて育っていると思う。それを教育とか環境とかで、屈折しちゃって一回手放す。

大半の大人が、そのまま欠けた心で諦めて生きるか、満たされないことを原動力にして生きる。

でも僕は、妻に愛というものの存在を知って、自分を愛で満たすこともできるし、欠けた状態にもできるんだって教わった。

 

最近のブログで、心に飴玉みたいな形の穴が開いているって書いた。

今は、穴が開いているんじゃなくて、開いていた。過去形だって知っている。

きっとその穴があった場所を自分で掘り返しているだけなんだって。自分の心は既に満たされていて、それに気が付けなくて、穴があるはずって自分が自らを傷つけていたんだって思っている。

だから、僕は既に満たされている。それに気が付いた時、自分に対する愛情と、それに気が付かせてくれた妻への愛情で沢山泣いた。

 

自信満々・威風堂々じゃなく、自分と今この場にしか意識が向かない状態。未来への不安も過去の後悔も微塵もない。満たされているから自信があるってアピールする必要がない。なんなら、今すぐ死ぬことだって笑顔で出来ちゃうくらい。

 

いつどのようにして気が付いたかって、本当は書きたかった。けど、じんわりじわじわと満たされていたから、いつからっていう訳じゃなくて、妻を中心とした僕に優しくしてくれた人ともの全てが、僕を少しづつ満たしてくれたんだと思う。

今はそういう認識。

 

All you need is loveってビートルズが歌っていたけど、今ならその意味が分かる。