僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

こどもおじさん

今日は曇天。昼頃から雨が降り出した。

外では雷まで鳴り始めていて、ゴロゴロいっている。

 

最近、福本伸行さんの「銀と金」という漫画を読んだ。

 

銀と金 1

銀と金 1

 

 銀という愛称の悪党が、ギャンブルや金儲けを経て若者を悪党に育て上げるっていうストーリーなんだけど、これが面白い。

好きなシーンがある。

犯罪をしてまで金を稼いだ先輩の悪党に対して、正義を訴える主人公に言ったセリフ。

「正しさを振りかざすやつは、それはただおどれの都合を声高に主張しているだけや」

「わいはケチな悪党やが、口が裂けても人が間違ってるだとか正しさそんな口だけはきかんつもりや」

(中略)

「迷えばいい人間か・・・?悩めば素晴らしいんかい・・・?そんなもんクソやんか・・・!」

 

めっちゃ良くない!!??このセリフ!!??

 

社会常識といわれる考えも、ひとつの意見。公正かどうか、という議論をしたいのであれば、それでいいけど生きていてそんなシーンは殆どない。

正義は存在しているけど、悪との対比でしか存在しないものだと思う。ゆえに、生きていて正義に関われない、グレーに生きているっていうのが本当だと思う。

それを、「正しさ」「一般常識」という言葉を振りかざした方が、逆に悪くなる遂行矛盾の典型例だと思う。

 

悩めばええんか、の言葉も良い。そう思いがち。悩んだ時間が長ければ、正しさに近いような気がする。

きっとそれは間違っていて、悩んだ時間や量と正しさは比例しない。

だから、四の五の言わずやるしかないんだ、ってこの「銀と金」に教えてもらった。

 

この漫画は大人向け。悩んで、でも行動をしなきゃというおじさんに響く漫画。

その対比としてだけど、悩みの中にある人は、心の年齢が若い人だと思う。弱くて繊細な心。

ぶれないおじさんの心と、子供の繊細な心を同居させた、こどもおじさんでいつまでもいたい。