レンタルなんもしないひとの本を読んだ
昨日、レンタルなんもしない人の本を読んだ。
面白かった。きっとこういうメタ的な活動をしている人は高学歴で、過去に色々あって考え方が極端な人だよなって思ったら、その通りだった。
極端って良いなって思う。自分の特性や好きなものを、突き詰めて残ったものが「なにもしないことをすること」。めっちゃ面白い。
一般的な世間の感覚(非常に危険な言葉だけど)では、自分探しの旅の終着点は「何かすること」。それってなぜかって、人は最後には死ぬからだし、何かしていることが美しいとされているから。
でも彼は、その「普通」のラインで思考を止めなかった。自分の好き(な状態やもの)=何かをするという構図からはみ出してまで、自分の居心地の良さを貫いた。
好きな箇所がある。
「帽子をかぶることで人目をきにせず街中を歩けるようになりなおかつ内省しやすくなったことで自分の欲望に忠実になったというかなにもしたくないという気持ちに向き合えた」
内省と欲望への忠実さの相関関係あるよね。そうだよね!!ってウハウハしちゃった。
つい、欲望というと、毛皮にサングラスを掛けて、お姉さんのいるところで札束バラまくみたいなイメージがある。きっとドラマ只野仁の見すぎ。
欲望の見本図に、内省と言う言葉は全く当てはまらないように見える。
けど、「自分はこうありたい」っていう意味での欲望という言葉は、内省から生まれると思う。
大きいワイングラスにヒョウ柄のファーコートを着ている人も、レンタル何もしない人も多寡はあれど、内省の末に辿り着いた結果なんだと思う。
「なにもしない」をもっと突き詰めると死ぬことだと思う。
それはやりすぎだから、おだやかに社会と関わりつつ、穏やかに社会からフェードアウトする。これって、まさに生きていること。生きることは、死ぬことに続いていくこと。だから、ある意味なんでもいいだよね、「何もしない」でも。