ロカンタン
サルトルの著書「嘔吐」は、主人公ロカンタンから見た世界では、存在の枠組みがぐちゃぐちゃに認識されるようになり、それは不条理な嫌悪感であって、吐き気を覚えた、みたいな内容だった。
「存在」というのは人間からすると、あるいは共通認識という前提であって、それそのものを捉えていない。リンゴはどこまでがリンゴであるかなんて、人間が決めたものだし、実際には分からない。
そういう感覚は、わかる気がする。
何の問題も無い時にはそんな感覚なんてどこかに行ってしまうけど、何かしらの不調和があると、世界が歪む。
目だけが異様に飛び出た感じになり、体の他の部分は小さく痺れている。そして、近くにあるものは近くにあるのに小さく見える。相手の顔がとても小さくなって宇宙人になる。
手のひらの感が異常に敏感になって、体の5倍くらい大きなものになった感覚になる。
きっとサルトルもアリスの国症候群だったんだと思う。
何でこんなことを書くかというと、僕も今世界が歪んで見えているから。
歪むのは、認知不協和で自分の中の矛盾が生じているから。
僕の望みの大部分は、楽に生きること。それに付随して、色々好きなことをやりたい。そう思っている。だから、その後ろについている諸々を一回手放そうと思う。