僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

感情の起伏

感情の起伏が激しい方だと思って、30年以上生きている。

朝起きて嬉しい気分なら鼻歌を歌うし、幹線道路を歩きながらボヘミアンラプソディーも歌う。怒りたい時は怒るし、悲しい時は体全部を使って表現する。

それが普通だと思うし、内側から湧き出たものを表現するのが人間たる証だと思っている。

でも大人になって10年以上経って、どうやら日本では「感情は表すものじゃない」っていう価値観があるみたい。

 

なんでそんなに表現するの?そんなに寂しいの?みたいな、無言の圧力。

特に田舎に暮らす人に顕著。感情を表す人をダサいって揶揄する傾向。そういう表向きは平和ぶった人って、知らぬ間に柱の中身をボロボロにするシロアリみたいな人だと思う。

 

感情労働って言葉がある。介護とか医療職、教師など、人と関わって「感情を消費する」仕事の人達。感情を表現しない人達は、その感情労働に対してのフリーライダー。感情泥棒。

きっとお店でも本気のありがとうは言われないし、ナンパだってしないしされない。

予想外の嬉しいサービスなんてきっと受けられないと思う。だってつまんなそうな人に、幸せをあげるする人はいない。幸せそうな人だから、幸せを受け取ってもらえるだろうって人が動いてくれて発生するものだと思う。

 

フットサルで士気を上げようと声をだしても、聞こえているのか聞こえていないのか分からない人。結構いる。そういうタイプもいるし、各々のタイミングがあるよねって理解はしているけど、やっぱり積極的に関わろうとは思えない。

家族であれ、友人であれ僕は他人と関わるのが基本的にはストレスがかかる(そりゃそうだけど)。そこで消費された感情は、どこにいくんだろう。どこで還流されるんだろうって毎回思う。

 

いつどこで幸せを感じるんだろう。とか家庭環境が悪かったのか、とか色々沸き立つ。でも僕には分からんから、これ以上そんな人に対する思考はやめておく。