僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

愛することはまだ早い

 

フロムの愛するということを読んだ。

 

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

 

 愛いうのは、与えられるものじゃなくて与えるというものだ、がフロムの言いたいことだと思う。

今の世の中では、ロマンティックラブが罷り通っているから、素敵なデートとかお洒落な恋人関係については沢山情報がある。

ロマンティックは素敵だと思う。けど、そこから家族になっていくスタート地点にするには乖離がありすぎるように思う。かくいう僕もロマンティックラブにほだされて、脳内を満たされて家族を持った。

恋が始まる時、人のIQは著しく下がるというのが研究結果としてあるらしい。すごくわかる気がする。好きになったら、他のことなんてどうでも良くなって周りが見えないどころか、自分が見えなくなる。

 

フロムの言うように愛は与えるものであるらしいから、愛を成立させるには一方的な受益者ではいられない。与えていると思っていても、受け取る側がそれをどう受け取るかっていう問題だから厄介。

何が言いたいかって、僕にフロムの言う愛はまだ早いのかなと思うって話。

与えていると思っていても、それは相手によっては通じない。人間と人間の関係性が成り立つのは、互酬性が大事だと思っている。誰かに何かをしたら、何かが返ってくる。そのレスポンスがその場でないと、これは受け取り拒否なんだなって思ってしまう。

そこが、僕の未熟なところ。きっと死ぬまで治らないと思う。

僕は恋しかしなくていいんだと思う。いわゆる本当の愛は今世では諦めようかと思う。

きっと今の瞬間も誰かの愛を受けていて、その受益者であると思う。けど、それが僕にはわからない。だから返せない。一方的な愛の贈り主だと思っていたら、一方的に受け取っていただけの人。ミイラ取りがミイラに。いやそれは違うか。

でもそういう入れ違いによって、愛が滞留して成り立たなくなるんだと思う。

 

自分ではこんなに繊細で、物事に敏感だと思っているのに、愛に関しては鈍感。

いや、貰っていることが分からないから、鈍感かどうかも分からないというのが実感。きっとそうなんだろうなってことしか言えない。