僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

セックスのイメージ

近しい人達が妊娠している。フットサルの知り合い2組。安定期に入ったからと嬉しそうに報告してくれる。

聞かないけど、本当「なんで子供作るん?」って聞いて、納得したい。いや、やっぱり納得しなかったな!って納得したいというのが、本当のところだろう。

それくらい、僕にとって子供を産み育てるというのが、不可解で、でもすごく気になる事柄。

 今日、よくいく中華料理屋のテレビで、「人気Youtuber、わいせつ動画の配信で逮捕」のニュースが流れた。

1人でカウンターに座っていた、中国人女性が箸を咥えながら「わいせ・・つ?」って不思議そうにつぶやいてこちらを見る。

どうしようか、どう言おうか迷った末に「S・E・X!!」と言った。

すると彼女は「イロンナヒョウゲンアルネー」と、照れながら言っていた。

 

最初に出てきた候補は「ポォルノ」だった。ニュースで使っている「わいせつ」の言葉の意味としても近いだろう。けど通じなかった時の恐怖。ポルノって良い発音で言うおじさん、他のお客さんからすると怖い。

だから、周りに聞かれても断片的にしか分からないかつ、彼女に伝わるようにと脳内コンピューターが弾き出した結論は、アルファベットで区切ったセックス。中々良い働きをしたと思う。

 

食べ終わって、彼女とも会釈をして別れたあとに、本屋に行った。

そこで、田房永子さんの「『男の子の育て方』を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました」を読んだ。

「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました

「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました

 

長女を育てながら、男児を妊娠した著者が、「男性」にどう向き合っていくのか、その葛藤が書いてある。ちなみにセックスの描写は無い。エロ要素も殆どない。

面白い表現だなと思ったのが、著者の息子がおしっこするシーン。男は立ったままおしっこをしても自分の足が汚れない、女は立ったまましたら足やらなにやらが汚れる。そこに男女の性差があると著者は考える。男は悪く言えば放埓で居られる存在で、それを受け止めて我慢するのが女だっていう構造に愕然としたと述べていた。

 

男性が放埓なのも、女性が清淑なのも、固定されたイメージ。「ガハハ」と言う男と、控え目に笑う女。でも、逆もある。性的に奔放な女性を僕は知っているし、控えめで控えすぎる男性も知っている。

 

セックスの良さは、している自分を想像して興奮すること。童貞だったあの頃の僕が、大人になってそんなことやあんなことをしている。それが興奮する。

子供を作る理由だって、本当は分かっている。きっと皆が作っているし、その大人の姿に自分もなりたいから、あるいはなったらどうなるか見てみたいからだと思う。

昔ながら男性っぽくありたい男性は、今でもウィスキーを飲んでクラブで女性を口説くんだろう。それに引っ掛かりたい古典的な女性像でありたい女性は、その男性の誘いに応じるんだろう。

要はどんなイメージに自分を(もしくは他人を)重ねるか。人生はたったそれだけのことで回っているような気がする。

素敵な映像を脳に焼き付けて、固定化させたいってしばしば思う。

ロニーコールマンとクリスティアーノロナウドとヒュージャックマンの潜在意識を奪って、僕のものにしたい。

あ、これインセプションだな。