僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

ブスの純粋

「ブスはね、ブスがゆえにダメなのよ!見た目が悪いから周りから気をつかってもらって、精神が成長しないの!」

この言葉を聞いた時、地獄のような発言だなと思ったけど、本質を突いているなと思った。

「ちょうど良いブス」という位置付けで山崎ケイという芸人がブレイクした。

 

ちょうどいいブスのススメ

ちょうどいいブスのススメ

 

 

声をかけやすいブスであるから、それを逆手にブスを自認し「ちょうど良いブス」という立ち位置を手にした。

自覚は大事だと思う。社会には上も下もあるけど、結局どう捉えるかは自分自身。

ただ、ブスでも美人でも問題は自覚の無さだと思う。容姿は全てじゃない。問題は心なんだけど、しかしその肝心な心がブスは育っていない。

きっと親から言われた「○○ちゃんカワイイね」を糧にして生きる。それはすばらしい。でもそこからアップデートされていない。

社会は当たり前だけど、親だけじゃなくて他人がとんでもない数いる。

その中でブスを自認できるかが、心のブスを抜け出す唯一の方法なのに、多くのブスは初期装備でラスボスまで突き進もうとする。そしてうまくいかない。

女性にとって見た目は命だと思う。というかそういう風潮が充満している社会だと思う。

美人はブスの上に立っていて、その地位を確立させる。そのヒエラルキーは今のところ変わりそうにない。本当はすべての人は見た目を気にしないで生きていけたら、良いと思う。

芸人の光浦靖子が、美人税作るべきだといつか言っていた。美人は生きているだけでイージーモード、ブスはハードモードなんだから、累進課税をすべきと。

それくらい、女性にとって見た目が美しいことは皆が好きなことなんだろう。

 

ブスは美人ね、と言われない代わりにあらゆるところで気を遣われる。男女関係の話や、顔の話、そこにいるだけで周りが下世話な話をやめてくれる。

その気遣いに気付けるかどうかが、より不幸なブスに転げ落ちるかどうか境目であるように思う。

見た目を気にしない素敵な男性が現れても、心がブスのままでいいんだと勘違いすると、努力を怠る。高級な服を買っても、化粧品を買っても美しくなろうという気概が無いから似合うようにならない。

見た目は、面の皮一枚である。目や鼻の大きさや配置などのもの。自分さえ気にしないなら問題じゃない。

固執はするけど、努力もしないし、自覚はしないのが心のブスであると強く言いたい。

欠点は誰にでもある。

僕は足が短いし、案外体毛が濃い。結構嫌だけど、気にしていないから、他人に指摘されても傷つかない。

自認しているし、じゃあズボンをなるべくあげようとか、脱毛をするとか対策をとっている。だから何を言われたって「なんかしてくれんの?」となる。

 

自覚と覚悟のない「ブス」は手がつけられないし気を遣う。これを「醜女支配(エンペラータイム)」と呼びたい。