僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

マゾヒズムなり

昨日、帰宅する直前に閃輝暗点が現れた。偏頭痛の前触れに出てくる、視界の中のチカチカした線。元々睡眠不足でなりやすいんだけど、長野に来て工場で勤めていた時に頻繁に起きるようになった。あまりにしつこいので、会社の医務室に行った。そこにいた少しもエロくない女医に「閃輝暗点が出るんです」と言ったら、彼女はそれを知らなかった。

別の日に、また閃輝暗点と偏頭痛のコンボで医務室に行った時、「偏頭痛の前触れとしておこるのよね」としたり顔で言っていたから、調べてくれたんだろう。

最近、家に帰る1時間前になると心臓がバクバクしだす。家の前の道路に来ると吐きそうになって「でもとりあえず」と思って鍵を開ける。

昨日の閃輝暗点は、そのドキドキのもっと強いバージョン。

 

 

閃輝暗点は、透明なギザギザ。視界の左上から、右下に掛けて稲妻のような形に視界が欠ける。キラキラしているからその部分だけ見ようと思っても見えない。乱反射している鏡みたいな感じ。今の説明は、イメージを言葉に変換して行った。

 

そう世界の根源は、イメージなんだって思う。

ロカンタンが言った木の根のうようよみたいに、今僕の目の前にあるPCだって手で触れているけれど、実際は僕という目が脳に投影してくれているからそう見えているだけで、僕の体にあるのはそのイメージだけ。

きっと生きているっていうことは、無明の闇の中、偏在するイメージ達と一緒に漂い続ける感じ。まぁこれもイメージ。それくらい、無秩序で、孤独で、独創性があるのが世界なんだと思う。

 

僕は今不安だから、こんな文章を書いている。

心が少し弱るとすぐ実在論的な感じに心がなって、文章の調子も固くなって、やたら難しい言葉を使おうとする。もっとポップでポジティブで親しみやすいのが好ましい。

恐らくサルトルも不安だったんだろうな。ボウヴォワールという、恋人であり敬慕する哲学領域が似ている相棒がいても不安。

こんな時はどうしようもなくなっちゃう。このブログもとんでもない時間をかけているし、本も読めなくなる。食欲もわかないし、音楽も聴けない。なんなら寝るのもままならないし、もーうどうしようもない。

以前ブログでも、不安はイメージのままだから不安なんだよと書いた。具現化してこの世にある形にすれば目の前に現れるから、倒し方が分かる、と。でも、不安は人の思考力を奪うんですよな。

例えが正しいかは分からないけど、アウシュビッツに送られた人達は、不安だったろう。その中で「ここに連れてこられたってことは、もしかするとガスかもしれない」って冷静に言語化、具現化できた人はいただろうか。まぁおおげさな例え。

ストレスは、脳を鈍麻させるのよね。ストレスがあるからこそ、脳を働かせて、具現化していって対処するしかない。けど、ストレスがゆえに対処ができないというのも真実だと思う。

「きっとあなたは、10万持っていても、100万もっていても、10億もっていても、今の状況になっているし、お金があればそれが尽きるまで今の状況をやり続けるよ」と母に言われた。

改めて言語化すると、厳しいな。笑って聞いていたけど。

要は母が言いたいのは、今の状況は僕が望んでいるんだよってこと。引き寄せっぽく言うと「すべては既に叶っている」状態。

 

いやー厳しいよな。自分自身。

だって、あるかねこんなこと。無職で、財産も無くて、仕事は怖くなっていて、プライドは高い。これが望んだ状態?????

そういや「お前は人生が薄っぺらいんだよ!!だから誰もお前に集まってこないんだよ!!」って言われたなぁ。ホームレス後だから、ダメージ大きかった。こんなことも、自分が望んで自作自演したことなんだろうか。ドМだよなぁ僕。