僕を考える

八島遼三郎です。心の言語化の場所としてブログを書いています。

代弁者の愛

昨日の22時頃、夕飯を食べていなかったからお腹が空いてパスタでラーメンを作って食べた。パスタをお湯に入れて茹でている間、その鍋に鶏ガラスープの素と、酒と塩と醤油で味をつける。パスタがお湯にとろみをつけていくから、それもそのまま味付けにする。なんで食べたくなったかと言うと「○○一覧」とグーグルで調べたら、「一覧」が「一蘭」に誤変換されてラーメンが食べたくなった。福岡のあのお店ね。ほんとは豚骨が良かったけど、醤油味。麺もスープも代用品なんだけど、美味しかった。

 

 

 

母がセッションを始めるという。東京のスピリチュアル有力者(?)のところに何度も顔を出して、何年か経ったんだろうか。色んな仲の良い人が出来て、もうそうなるのは必然か。

母は、僕の双子の兄と暮らしている。そして一緒に仕事もしている。

南インド屋」というブランド名で、ミックススパイスを売ったり料理教室をやったりしている。その販促の一環でYouTubeにも動画を出している。

母がミックススパイスを使った料理を作る動画なんだけど、その中で、もたもたしている不器用な役回りをする。合意のある寸劇。

最初は「いつもの流れだな~」って思っていた。けど、最近は気持ちが悪いなって思うようになってきた。

いつまでもそんな役回りをする母と、それをさせようとする兄。

ネガティブな感情を相手に抱くということは、きっと自分の中にある感情が反応しているからだと思う。

そう、そういった感情を今日は書こうと思った。他人に伝えるためじゃなくて、自分に伝えるためね。

 

ネガティブな情報をキャッチしてリリースするのってあんまし良くない。

世間をにぎわしている吉本興行の話も、最初は闇営業から始まって、涙の会見、下手くそ会見、加藤浩次さんの男気、などなど話題に事欠かない。僕らは、他人や会社の内部事情を、顔は知っている芸能人が感情を爆発させながら、覚悟を決めながら戦っている姿を面白ーいって思って見ている。カイジの世界観。鉄骨渡り。

崇高な精神も、低俗な精神もきっと誰かが決められるもんじゃない。他人から見ると僕を含めた面白がっている人達は醜い。でも自分で自分を見ないから気付けないのよね。

そういう他を省みない集中力だって時には大事だと思う。

 

以前の記事で、愛は条件付きのものと、無条件の愛があると書いた。それで、後者を与えるべき親がそれをくれなかったら、ウンコを投げろ。そんな内容。

 

yashimaryoz.hatenadiary.jp

 

この記事は僕のブログの中で一番良いと思っている。

 

僕は、無条件の愛が欲しかった。でも、それは兄にしか届けられていないんだ、って勝手にやさぐれていた。

何でそう思ったのか、根拠を書いてみる。

双子の兄と母は、よく似ている。容姿も考えかたも、恥ずかしがり屋なのに虚勢を張ろうとするところも、覚悟を決めようって自棄みたいなことしちゃうのも。きっと頭が良く働くし、頭が良い。

それで、母親は僕ら子供を育てている時、愛は自分の中にあるんだよってことを知らなかったと思う。

それについては、「ウロボロスが愛である」で書いたから読んでみてほしい。 

yashimaryoz.hatenadiary.jp

 その未熟な母は、愛する=好きであると思っていたと思う。あ、因みにこれ全部想像の産物。事実かどうかは分からない。というか確かめようがない。

愛は、他者と自分の違いを受け入れることだけど、好きは自分と近しいものを好ましいと思うことだと思う。あれ、これ凄い名言だ。

母は子供に対して「好きかどうか」という判断をせざるを得なかったと思っている。

せざるを得なかったのは、父親との関係性にある。離婚したくらいだから、当然母は結婚生活が思い通りにいかなかった。というか壮絶だったんだと思う。

だから、父親(元旦那)という存在を拒否して拒否して、嫌がることでしか、自分の正しさを主張できなかったんだと思う。それは、家庭内の空気になった。

主に僕と、2つ上の兄にある父親っぽさを否定することでそれは進んでいったと思う。論理的じゃないことを排斥したり、馬鹿であることを否定したり。

(あ、父親は学歴とかは皆無。情報として)

双子の兄は、母の悲しみを肩代わりしていたんだと思う。「父親に苦しめられたんだから、そういう風になっちゃいけない。」「母親が虐げられたんだから、僕達は違う存在になる。」みたいにね。

すごくよく分かる。大好きで愛しているから、守ってあげるんだよね。「母の気持ちが分かるのは、僕なんだ」って思うよな。弟も2つ上の兄も、わかんないんだから僕が分かってあげるしかないんだ!って思うよな。

だから、それ以外の形は嫌なんだよね。母以外を準拠にして出来ているもの全てが許せないのよね。めっちゃ分かる。

それくらい、母は子供にとって全てだし、兄は家庭という小さな世界で一番の理解者でなきゃいけない存在。

でもそれは愛の形じゃないだよね。結果として、自棄なんだよ。

誰かのために、自分を抑えて、誰かを攻撃したり否定するのは愛じゃない。

でも子供と母は(特に僕の家庭、兄の立ち位置では)距離が近すぎて、自分と母の線引きが曖昧になるのよね。曖昧がゆえに、自分のためなのか母のためなのか分からなくなる。

極端な例かもだけど、特攻隊で没していった人達は周りに流された人と、国のために本気で死んでいった人に分かれると思う。後者は、国という概念(というか日本か)と自分との線引きがなくなるから、戻れない戦闘機に乗ったんだと思う。

最初、兄を代弁者だと揶揄しようと思っていた。

母の苦しみを背負って、それを声高に訴える代弁者。けど違うな。代弁者じゃなくて、母親そのものになっていたんだ。好きだから、尊敬しているから、似ているから、というか自分自身だから、そりゃ言ってることなんて同じになる。

 

最初の母のことを馬鹿にする話に戻る。なんで気持ち悪いなんて思ったんだろうって、よく考えてみた。

僕としては、これまでに書いた兄と母の人格が分離していないと思っている。

それは今の生活に如実に現れている。一緒の家で生活して、同じ仕事をして、ひとつの動画を一緒に撮影する。幸せだと思う。正直羨ましい部分もある。

けど、せっかく幸せなのに、その裏返し的に母親のことを馬鹿にするのは、2重3重に自分に嘘をついている状態だから気持ちが悪いと思うんだ。

母のことが好きで一緒にいる。これが1段目。

好きの裏返し的な意味で母をおバカキャラにする。これが2段目。

そして、本当の本当は自分の感情を押し殺して「母のために」をやっている。それは母も同様。過去に捉われた母が可哀そうだから、自分がなんとかしてあげようって思っている。これが3段目。

3段の感情オブラートに包まれていると感じると、人は不快な感情が芽生える。

まぁ僕が感じているのは、兄と母が大事だからで、どうでも良いと思っている人はそんなことを思わずに、面白いなーって見るんだと思う。

 

ようやくこうやって書けた。悪口じゃなくて、他人を正そうっていう意味でもなくて、単に「僕はこう考えている」ってこと。手前味噌だけど、並大抵のことじゃないと思う。色々勉強して、自分と向き合って、抽象と具体を何千何万と行き来する。

届いてくれたら嬉しいけど、届かなくても良い。

ブロックとか、無視とか、拒否じゃなくて、単に伝えるだけ。婉曲だけどね。

強制したいんじゃなくて、自分で選んでほしいから。

それが出来た自分を褒めてあげたい。今日はロールケーキを買おう。