僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

死ぬことと見つけたり

昨日の夜は唐揚げを食べた。今日は麻婆豆腐を自分で作って食べた。花椒と豆鼓とピーエン豆板醤を使って、ホテルっぽく仕上げた。猛烈に美味しい。

何度でも言うけど、僕の好きな食べ物は順不同で唐揚げ、麻婆豆腐、カレー。そのうちの2つを2日以内に当て込んだ。

 

アゲアゲアイテムをあてこんでも、どうやら僕は今ナンパする元気も、出合い系サイトにも登録する元気がないらしい。

彼女ができるタイミングって、人生で数は多くないけどあった。

考えてみると、全部僕が弱っている時だったなと思う。

学生の頃、進路やら何やらで迷っていた時。22連勤をして心も体もボロボロになっていた時。

助け舟のように、女性が現れる。溺れかかってもがいている時、助けてくれる船は漁船でも、サーフボードでも掴まる。そんな感じで、女性に助けてもらおうっていう気概で付き合っていると、全く上手くいかない。

極 飴斑点 たこ壷(大) 029-401-02C

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彼氏彼女であれ、友達であれ弱い部分を補い合うのは当然といえば当然なんだけど、前提が助けてもらうだと難しい。

特に男性が助けてもらおうっていうのは、女性からすると結構ヤバイ。エスコートして、華麗に女性を楽しませるんだっていうあるべき像が女性には必ずあるから。

そして、大変な時にそれを分かっていても付き合う女性は、往々にして良くない。良い悪いじゃないんだけど良くない。混乱期に必ず現れる火事場泥棒みたいな存在にどうしてもなっちゃうから。まぁ僕が悪いんだけどね。

 

人生って必ず浮き沈みがある。今、僕ははっきり言ってめっちゃしんどいし、どん底だよなって思ってる。数ヶ月前まで毎日寝込んでいた時よりはずっと良いけどね。

そもそも合う相手なんて、正常でも難しいのにパニック状態で付き合ったら、確実に間違う。

じゃあどうすんだよって話。

これまで書いてきた愛の話とも当然繋がっていて「自らを愛せないと他人は愛せない」の定理を使う。

自分の状態が良くない時に=自分を愛せない状態。

だから、当然他人を愛する余裕は無いし、欠乏状態の目で探した相手はきっとなんか違うことになる。

スタートが弱っている人だと、そのあといくら続いていったとしてもその立ち位置であったことは変えられない。そんで、ことあるごとにお互いにスタートポジションに戻そうと強いるもんだと思う。

Hits (Special Edition)

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そんでもう一個遡ると、僕に大変じゃない状況の時ってあっただろうか。

少なくとも学生じゃなくなってからの、7年間はだいぶ辛い。

全部自分のせいとか、親のなんたらがどうとかあるけど、これはどうやら異常だって思っている。

普通に生きている人って、仕事に行く前に心臓がはちきれそうになるくらい痛くならないし、わかってもらえない!って怒りとか悲しみで死にそうになることもないっぽい。

異常でも正常でも、自分さえ味方であればいいと思っている。

なんだけども、今僕の心は麻婆豆腐でも甘いものでも唐揚げでも全く動かない。喜んでくれない。

夜9時くらいに躁っぽくなって、朝起きるとめっちゃしんどい。

頭で、「そんな自分でもいいじゃん」と心に訴えかけても「.....」。と無反応。

一時期の寝込んでる時よりはいいのかもだけど、きっと死が近いのは今かもねー。ハハハー。って思ってる。

起き上がれないから、どうたらこうたらで、今は起き上がれているからどうたらこうたらというやつ。

まぁそんなんも仕方ないよなー。と思っている。武士道では罰するためじゃなくて、誠実さの表現として切腹をするらしい。

あー、自分に誠実であろうとしている僕となんだか近いぞ。と思う。

他人への怒りとか悲しみとかでパンパンになってるんじゃなくて、自分が自分であり続ける誠実さを、自分に見せるための切腹

堕落論坂口安吾が言ったのは堕ちてこそ人間で、落ち抜くには弱すぎるのも人間なんだってことだと思う。