否定を否定して、否定を否定する
学生の頃、正しくあろうって常に思っていた。
僕の中のルールがあって、それをできない人はつま弾きにしていた。
美しくない人はだめ、勉強ができない人はだめ、お金がない人はだめ。等々。
これら自体は、間違っているとは思わない。ただ、その身に着け方に問題があると思う。
家族から受け継いだ思想みたいなのを、持ち出してきて相手にもそれを求める。それがあかん。
- 作者: カント,波多野精一,宮本和吉,篠田英雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1979/12/17
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根源にあるのは、否定されたっていう思いだと思う。否定されたから、誰かに否定をし返す。本当は、親も友人も否定をしていないのに勝手に否定されたって思い込んで、他人を否定しちゃう。
否定しちゃう自分を否定しているから、否定のスパイラルが延々とつながっていく。
奇妙なことに、否定でつながる人もいる。自分を否定している部分に対して共感して、仲良くなる。
はっきり言って、醜いと思う。
しかも否定の度合いが高い人が、相対的に見て低い人に対して執着している姿は見ていられない。気持ちが悪い。
なぜ離れられないかというと、「低い人」が「高い人」に対して関わっていると優越感に浸れるから。需要と供給がマッチしているよね。ある意味。
その優越感は「低い人」にとっては結構大事。貴重な自己尊厳を感じられる機会だから、簡単に手放さない。毒親とか、DVカップルとかそういう構造。
とある親子の話。
自分のことが嫌いで、うまいことそれを隠そうとしている。原因は、その母親にあると本人が言う。僕はそんなのいいから、本当に思っていること話してよ、って思う。けど、話せない。
話したら、自分が拘っていることが瓦解しちゃうから。大事な親を否定したくないからだよね。
親から子供へ、子供から他人へ。こうやって否定の仲間がどんどん増えていく。
ネガティブな情報は、ポジティブな情報よりも早く伝わるらしい。今やってる吉本興業のニュースが好例。文字に起こされていない、態度で示されたネガティブな情報は、ニュースなんかよりも断然早く、強く、他人に染み渡る。それを取り払うのは難しい。
恐らく、気が付かないまま死んでいく。気が付かないだけならいいけど、きっと頭の隅ではわかっているのに、それをいつまでも処理できないのはどちらにとっても狂おしいほどのストレスだと思う。
それを、生きていればストレスもあるさ、なんて言って誤魔化すんだと思う。知らないけどね。
もし、今自分が否定仲間にされそうになってるとしたら、どうしたら良いだろうか。
無視して、逃げよう。付き合いが長ければ長いほど、深ければ深いほど、否定の毒は体に行き渡る。これまでの付き合いで、ある程度免疫ができているから、異常な事態だってことにすら気が付けない。でも、自分を否定する人は異常だし、否定を求めるのはもっと異常なんだよ。
自分を肯定することが通常で、他人を肯定することが通常なの。
感染する病気なんだよ。自己否定も否定することを求めるのも。
否定仲間でいることは、しんどいと思う。でも、そういう奴はしんどいのが好きだからね。生きていくのには労苦が必要で、耐えてこそ人生って思いこんでいるから。
何度だって言う。否定仲間からはまず精神的に距離を置こう。できることなら物理的に逃げよう。というか、物理的に逃げるためにまず精神的に距離を置こう。
最後にひとつ。
世の中には価値判断とか、良いとか悪いなんてものは存在しないと思って生きている。
軍需産業だって、勤めている人とその家族を養っているだろうし、オウム真理教だって救われた人はいると思う。(全く知らないけど)だから、物事には良い!とか悪い!って断定できるものは無い。大多数の人が良いと思っているとか、その逆とか。
正義論なんかでは、社会的な正義、個人的な正義、感情の中での正義などに区分されているらしい。ロールズは無知のベールという(苦しい)概念を用いて、あらゆる既存の価値概念を排した個人の集まりによってルールを作るべきと説いた。
原則そうあるべきだとは思うけど、この記事では思いっきり「否定を否定」した。
そう、原則として価値判断は無意味。だけども、否定は攻撃されているのと同義。それに対して、攻撃をし返すんじゃなくて無いものとして扱おうということ。
否定自体に関しては否定するけど、否定をしちゃう人に関してはそのままでいいんじゃない、っていう態度。僕にはわからないけど、否定には否定の役割があると思う。
そして、否定仲間には否定仲間のルールがあって、それを守って生きている。僕から見ると辛そうだけど、辛いかどうかなんて分かんない。否定の中の序列争いで勝っていれば楽しいって人もいるだろうし、その下につくことが堪らなく気持ちが良いって人もいる。
きっとあなたの前にも現れる。否定の人。そういう人なんだな。以上。可哀そうって思うことが可哀そうだし、その思いは自分を本当に可哀そうな目に遭わせる。
否定を否定することを経て、否定を否定する。その結論が「そういう人なんだな。」そこまでで一旦止まろう。