僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

権利と義務

権利と義務という言葉が嫌いである。

権利はともかくとして、義務が嫌。以前のブログでは、自由とは責任とワンセットだよって書いたから、逆じゃねえか!ってなっている皆様、しばしお待ちください。

 

年上の義務 (光文社新書)

年上の義務 (光文社新書)

 

 

権利と義務。セットで使われると拒否感がすごくある。そうやって使われる言葉には、義務を果たせよ!!って含意がある。そして、深読みかもだけどその義務っていうのは、自分が苦しい思いをしてやってんだからお前もやれよ!!って意味だと思う。

自分が苦しいんだから、あなたも苦しんで。起こるよね。こういう事態。

 

育児中の妻が、子育てに関与しない夫に向かって「あなたも手伝ってよ!!」。父親は「俺だって仕事があるんだ!」みたいな。

彼女が本当は何を言いたいかってことだと思う。でも、絞り出したヘルプの言葉は論理的になれない。感情がこもっちゃう。

感情は出してもいいと思う。ただ、本当の意味での感情を出す必要があると思っている。きっとこの場合「愛してる」だと思う。できないと思うけどね。

 

そんでね、義務って何だろうって考えた。先の例だと、妻は、専業主婦だとしたら育児の義務がある。夫はサラリーマンだとしたら仕事の義務。そんで、難しいのは夫婦として果たすべき義務。それはどこにあるだろうか。

まぁ世間で言われている、普通だとすれば夫婦共に育児に参加する義務があって、夫が手伝うのは当たり前。一般に言われている場合ね。

もし、妻が「私が育児をするからあなたは仕事を頑張って」と言っていたら、どうだろうか。夫とすると「いやいやいや、前そうやって言ったやんけ」となる。

当然、妻は優しく、夫が快く育児に参加できるように、逆に夫は妻が手一杯になる前に育児に参加するのが理想だと思う。大人と大人が織りなす、気遣いという名のハーモニー。

夫の視点から考えると、妻は仕事を手伝えない。飲食自営業とかならまだしも、サラリーマンで会社に行っている場合、妻ができるのは家事とか精神的なサポートで、仕事そのものに関与はできない。

同じよね。やってること。まぁだから喧嘩になるんだろうけど。

同じことを同じように相手にやり返すから、喧嘩は起こる。これ原則。

 

人は労働の義務があるとか、納税の義務があるとか、教育の義務がうんちゃらとか、憲法で定められている。人を殴ったら、警察が来て逮捕されるという強制力が働く。だけど、仕事に関してというか、お金に関してはそうはならない。

プロ無職と名乗る人がいる。4文字で矛盾するのが面白い。その人はもしかしたら憲法違反なのかもしれないし、根強いアンチはいると思うけど、その活動を止められる人はいない。むしろサポートしてくれる人がいる。

何が言いたいかって、自分が苦しいからって人にそれを強いらないで欲しい。否定の意味合いの言葉は、大抵、「常識では」とか「普通は」とか誰にも見えない常識。自分がそうやっているだけなのに、人に同じでいるように求める。

単にお金を稼げ!!って言う人もいる。そりゃ稼げたらいいけど、人類皆そうだったらホームレスなんていない。ホームレスの人はお金稼ぎは下手かもしれないけど、路上で暮らすことに関してはプロフェッショナル。

家が無い人が、助けて欲しいと訴えてきたら自分の経験や知識を総動員して、どうすればいいか考えてあげればよい。なのに、訴える前から「同じになれ~~!!」って言ってくる人はいる。

 

プロ無職入門 高木壮太の活ける言葉 (P-Vine Books)
 

 

権利と義務の原則は、理解している。痛いほどに。

だけども、それは理解がまず先だと思う。どうしてこうなったのか。どうしたいのか。それができない場合は、それこそ言う権利が無い。