お盆にしたこと②
昨日の続き。
いきなり帰ってきた人に驚いて焦燥感に駆られたこと、母親にそれを言っても気の無い返事しかされないこと(文字化すると実にくだらない)にショックを受けて、逃避したよって話。
そんで、家に帰って、すぐ電気を消した。寝たふりをしていれば、その時間は責められたり泣かれたりしないだろうってロジック。
でも寝られる訳ない。どうしようって100万回くらい心で叫んで、気が付いたら朝になっていた。
今日という日をどうしようって思った。できることなら、引っ越しをして、お金を稼いで、素敵な女子を連れてデートをして、一緒のベッドで寝て、下らない話でアハハって笑いたい。性欲とか物欲じゃなくて、それらを満たした際に得られる心持ちが欲しいって思っていた。
僕は、どんなに苦しんでいる時でも女性に優しくされたい、とか女性と分かり合いたいっていう思いが強烈にある。それら2つを混同して考えていたように思う。
好きだなって思うのと、この人と関わってみたいという思いっていうのは多分、別に存在している。前者は性欲。後者は、この人の抱えたトラウマをどうにかしたい、僕の抱えたトラウマを分かってもらいたい、それら2つを一緒に乗り越えていきたいっていう衝動だと思う。それら2つの区別が出来なかった。
きっと、それって母親を投影しただけのこと。性欲は男性として備えているものとして、ある意味当然のもの。もう一方は、僕の人生の課題みたいなものだと思う。
それが満たされていたら、きっと成すべきことなんて1個もない。というより、満たされていたら、上手くいく、上手くいかないの2つで区切られた思考にならないから、上手くいく以外のものが存在しない世界に生きられるんだなって思う。
夕方まで、ベッドで漫然としていた後、「外に出よう」と思った。先のブログで書いた「とりあえずで人生は動いている」の論理を適用した。
リュックに着替えと本だけを詰めた。充電がすぐ切れるアイフォンも、パソコンも持たないことにする。唯でさえ焦燥感に駆られる僕の心を、携帯の充電っていう取るに足らないことで助長させたくなかった。時計も持たない。(というか持ってない)。
とりあえず、ご飯を食べに行った。食べに行きたいものじゃなくて、行ったところに行く。足が向いたところに行くだけ。
ラーメンを食べた。ご飯も一緒に沢山食べた。以前も行ったことがある店だけど、なんだか美味しく感じる。そして、温泉。150円で入れる共同浴場。
地元のじいさんが観光客に向かって「ドア閉めろ!」って注意する。自分は風呂桶を投げて扱っているけど、マイルールにだけ厳しい。
前、上がり湯を浴びる場所に置いてある桶で、風呂の温泉を浴びた。そうすると地元ジジイが「それそこで使うんじゃないよなんでそんな風にするんだ」と言われた。
何の理由もない、これまでそうしてきたからそうするっていうルール。順守というよりも(地元の人じゃない)外部の人が、自分らと違う行動をするのが、世界を侵された気になって注意するんだろう。
下らないな、って思ったけど、それを正そうとか、変えてやろうとは思わない。これがいわゆるどうでもいい。気分が悪いけどどうでもいい。くだらないけど、彼らの中の全てで、僕がそこに割って入る気はしない。
上がったあと、観光客がいて写真を撮ってあげた。近くにある椅子で、本を読みながら、普段なら絶対買わない缶ジュースを買って飲んだ。ヨーロッパ産の何かの果実のフレバーを使用した、ファンタ。やたらと美味しく感じた。
その後、またバイクに乗った。行き先は決まってない。行く時に上った道を、下る。ずっとクラッチを切って、だらだら自転車みたいに坂を下りる。途中で何台も車に抜かれた。長野の人達は、オレンジのラインも気にせず遅いバイクを追い抜いてくれる。
あ、タリーズに行こうと思いついて、その思考に判断とか、色々思うことを排して、行くことにする。一番先に思いついたところにいく。そういうルール。
お盆休みで混んでいたタリーズも、8時過ぎになれば空いていた。デカフェのフレンチプレスを頼む。フレンチプレスは、豆の味が直接味わえて美味しい。カフェイン摂取でなる頻尿にもならない。というか、熱くて苦いお湯が飲めればそれでよかった。
ずっと持ち歩いているフロムの「愛すること」の続きを読む。
愛することは、自分が確立されていないと成立しないと書かれている。やっぱり、僕とフロムは同じことを考えている。まず、個人。個人が成り立って、複数が成り立つ。そうだよな、やっぱりそうだよなって考えた。
その本の最後の方に、「この本を読まれている方々が期待しているのは、『愛すること』の技術的なことであろう。読めば愛せるようになるというもの。だがそれは、実践を経ないと絶対に成立しない」と書かれていて、軽く絶望をする。期待外れの絶望じゃなくて、期待通りの絶望。 本当なら読者の期待に沿う、ハウツー的な内容を書いた方が人気は出るんだろうけど、そうじゃなくて真摯に向き合う姿勢に痺れる憧れる。
そうやってこの日が終わる。また、家の前まで来てうるさくないように、エンジンを途中で切る。自分の自転車の隣にバイクを押し込んで、家に入る。無の表情で部屋に入って、電気を消す。
どうやら、この放蕩、悪くないって思い始めている。