僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

お盆にしたこと③

昨日の続き、その③。

当たり前にようになった、夜は寝られないを越えて昼すぎに目が覚める。

扇風機を一晩中当てていたせいか、体はどことなく冷えている。窓からくる風は熱を持っている。カーテンで遮られた日光が強く主張する。

飲まず食わずで、15時間以上経っている。お腹はまだ空いていない。とりあえず、家の様子を見てもう一度寝る。もう一回目が覚めて、どうやらまだ家に誰かいる。だからもう一度寝る。仕事が忙しい人は寝に家に帰るだけと言うけど、仕事で忙しくなくても寝るだけの人はいるんだなとちょっぴり笑う。

16時過ぎに起きだして、昨日履いていたパンツと肌着をリュックから出して、洗濯籠に放り入れる。汗を沢山かいていて湿ってる。この間干している時に雨に打たれたせいで、生乾き臭い。汗と生乾きと、ちょっとアロマオイルの匂い。

 

最近、香りのよいものが好き。

一番好きなのは、シップスとかトゥモローランドで嗅ぐ匂い。あれは何なんだろうと思っていた。レモンとか柑橘系だけじゃなくて、ちょっとほこりっぽい感じもする。

ちょっと調べると、どうやらコリアンダーらしい。無印で、それが入ったオイルを買った。ちょうど値引きされていた。

直接肌に塗るのはだめらしい。香水みたいな使い方はだめらしい。じゃあ服につけるしかない、と思い、数滴肌着に付けてみる。良い匂い。

アロマオイルを香水のように使うのは、どうしたらいいんだろう。まぁいいやって思って出かけることにする。

リュックを背負って、半ズボンに半袖のシャツ。最近嵌っている、素足でスニーカーとスリッポンの間みたいな靴を履いて出かける。スリッパだとバイクは危ないから、苦肉の策としてやったんだけど、やってみるとやめられない。洗濯物が減るし、快適だし、蒸れがちな足は、脱いで乾かせば問題ない。もっと言うと、肌部分が多く出ているから足が長く見える(!)。今度は、アクアシューズの様な通気性が良くて、底が厚い靴を買おうと思う。きっと年中履けるはず。

そういえば知り合いも、冬でもスリッポンみたいなのを履いている。下着は、付けないでカシミアの腹巻みたいなのをずっと付けている。それは洗濯しないんですかと聞くと「これは動物の毛皮と一緒だから、自動的にきれいになるんですよ」と訳の分からないことを言っていた。動物がキレイなのは、毛づくろいとか川に入ったりするからじゃないの、と思ったけど本人が良いならそれで良い。別に臭うわけじゃないしね。

 

今日はどこへ行こうか、と思わないうちに青木村方面に向かっていた。

青木村というのは、上田市に隣接した村で、平成の大合併の際に上田市にならないことを選んだ村。中央から外れると行政の支援が希薄になるというのが理由だと住民から聞いた。

家から20分くらいで、青木村へ続く道に行ける。沿線にある店が、徐々にチェーンのものがなくなる。最後にあるのはすき家。それを最後に、長時間やっていて誰でも知っている店は無くなる。

もっと進むと沓掛●●とか、そういう青木村独自の名前の店が多くなってくる。懐かしい光景。ちょうど3年前、1人で青木村に来て2週間古民家に泊まった。

思えば、その思い出が長野に来て最良のものだと思う。広い家に1人で住んで、家の持ち主が時々アポ無しで来る。びっくりしながら「どうしたんですか~」というと大した用事じゃない。

そのオーナーは僕のことを気に入ってくれた。草刈りを一緒にしたり、物件を探したりしてくれた。物件探しに疲れて帰ってきて、スーパーで買い物をしている時に電話がかかってきて、「今何しているんだ」と。「夕食の買い物をしています」と言うと、「ご飯炊いておくから家で一緒に食べよう」と。鶏肉に粉を付けて焼いて、その人の家で取れた野菜と炒め物を作った。

普段料理はしないんだけど、これだけはするんだと、青南蛮の味噌炒めを作ってくれる。決めてはメザシを粉末にした出汁粉らしい。僕が作った即席の炒め物よりよっぽど美味しい。

奥さんが作った漬物も沢山出してくれた。炊き立てのご飯と、炒め物と青南蛮と漬物。たったそれだけだったけど、涙が出る程美味しかった。

一緒に出掛けた方々の人に「この人は志も素晴らしいけど、人間性が素晴らしいから応援したいんだ」って言ってくれた。

そんなことを思い出して、涙ぐんだ。

国道沿いのエネオスを右に曲がったところに、その人の家と、僕が2週間住んでいた家がある。前を通ったら、軽トラが停まっていてもしかするとその人だったのかもしれない。でも、会ったところで話すことは今の僕には無い。泣いちゃうし、妻だった人から既に連絡がいっているらしいし。

だから、綺麗な思い出だけを保持させてきた道を戻る。

温泉に行こう、って思い立って、横道に逸れる。感傷に浸るためにわざとゆっくり走る。原付の制限速度の30キロでゆっくり。

畑と田んぼと森が沢山あって、夕日で比喩じゃなくキラキラしている。

バイクは、普段走らないスピードでも、ちゃんとちんたら動いてくれる。

大仰じゃなく、心が洗われた。これからどうしようとか、これからどう生きようとか、どうでも良くなってた。それよりも、今この風景を見て悦に入ってる僕がいるだけだなと。

この場所を何度も何度も往復していた僕は、頑張っていたな、とか、過去を美化して思い出す。過去は美化するためのもので、辛くなるためのものじゃない。だから、大いに美しく化けさせた。

 

温泉について、体を洗い、露天風呂に入る。思ったより温い。細長い体をした孫と、白髪で眼鏡の祖父らしき人が話している。吹奏楽をしているらしい。

おじいさんは、孫を信頼している。だから面白い話はしない。その時思った話をただ、自分に語りかけている。孫も祖父を信頼しているから、そうなんだ、って頷いている。

これが愛の形だよなと思った。

半ズボンとTシャツの形にくっきり日焼けした孫が、祖父の知り合いに「カモシカみたいな足をしているね」と褒められる。孫は照れて笑う。

畳の座敷で、寝っ転がって野球中継を見る。失策を契機に、それまで勝っていたチームが逆転される。攻守が交代しても、ランナーにボールが当たってしまいアウトになっちゃう。流れってあるんだよな、普段は起こらないことが流れの中では当たり前のように起きる。そんなことを思いながら、温泉を出る。

夜はカフェに行って読書。そう決めていたから、静まり返った田舎道を、上田方向に向かって今一度ちんたら走る。さっきまで照っていた太陽のせいで、まだ蒸し暑い。

店に入って、カフェインの入っていない、フレンチプレスのコーヒーを飲んだ。店員は、僕の顔を覚えているけど初めての客と同じように接してくれる。心地よい。

フロムの「愛すること」はもう読み終わった。だから岡田尊司さんの「愛着性障害」を読み始める。まだ全然読んでいないのに、コーヒーの染みが出来ている。

フレンチプレスの熱いお湯が、すぐ汗になって体中から出てくる。お風呂上りのタオルを首に巻いたままだから余計に暑い。でもその暑さとクーラーの寒さが心地良い。

また、家に戻る。これまでより躊躇は無くなっていた。