僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

ダブルバインド

関節が鳴りやすい体質。右手の人差し指の第一関節は永遠にゴリゴリ言うし、肩は回すと外れそうな音がする。亜脱臼なのか疑っているけど今のところ生活に支障が無い。指は小学生の頃ドッチボールで突き指をしたのが原因かなと思っている。

関節の中にある気泡が、曲げたことでかかる圧力で破裂して音がするらしい。背中を動かさず首を前に倒すと恐ろしい音がする。チェーン状に連なった頚椎が、自重と曲げる動作によって同時に逆方向に引っ張られて、関節内に圧力をかけているんだろう。重力と筋力。同時に逆方向の力が加わると中身にダメージが加わる。

f:id:yashimaryoz:20190921182902j:plain

 

 

1.はしがき

昨日のフットサルで手の小指を脱臼した人がいた。手でボールを弾いた時に痛めた様子。最初はみぞおちにヒットしちゃったかなと心配したけど、様子がおかしい。小指が逆の方を向いている。一旦試合終了。いつも手首にテーピングをしている茶髪の彼が寄ってきて「骨折なら腫れる。脱臼なら~」と講釈を垂れる。今必要なのは夜間に行ける病院がどこにあるかで、怪我履歴じゃない。心配するのを表向きにした「俺だって怪我してきてんだよ」は誰に響くと思ったのか。奇跡が起きて●●さん怪我めっちゃしてるんですね!と言われたとしてニコニコ自尊心を高められるのか。

 

2.ダブルバインド

ダブルバインド。二重拘束。その多くは両者が矛盾した命令。斉藤環さんが足を踏んで褒めるの例えのように、縛られた相手はどうすることもできない。先の例は「心配と虚栄心」のダブルバインドで、負傷した彼は相手にしていなかった。よりも、できなかったんだと思う。

選択することって難しい。両方を取りたい人情。高校に進学する時は偏差値という明確な数字。大学を選ぶのも偏差値。割符状態だから、噛み合うか合わないか。機械的で情緒や感情はひとつも要らない。ちょうど薄暗い大学生がアルバイトをする居酒屋で靴をしまうシステム。墨で書かれた「弐十参」が自分のナンバーなら23を捜して入れるだけ。僕のした進学は選択じゃなくて当てはめただけ。もし美術と料理を同じくらい大学でしたかったとしたら、選ぶのはやはり難しかっただろう。「大学」という範囲内では確実に2者択一になってどちらかを選ぶのは、どちらか一方を目の前から消滅させちゃう。最近よく話題になるトロッコの思考実験に近い。どう考えても、どちらにするにしても、一方を「ゼロ」にする選択は難しい。もし美術と料理、どちらも好きだったら美術の大学に進学して、料理を放課後にやる選択肢もある。どちらもやってみたら、一方は脱落するかもしれない。両方やる程の体力が無いせいかもしれないし、やってみたらそれ程執着するものじゃなかったかもしれない。結果が出ないとかも嫌になる遠因。それは否定するものじゃなくて、その人の「好き」が洗練化されていく過程だと思う。好きも嫌いも、何事であっても物事が体に馴染んでいくのは心地がよい。

ふたつが同時に、かつ矛盾した命令であった時、人は思考が止まる。1人の人から2つ(以上)という場合もそうだし、相手からひとつ、自分からひとつで矛盾する場合もある。上司から「業績を上げろ」、と「残業はするな」を同時に指示されたらいきなり従うのは難しく、どちらに従えばいいのか分からず、思考の停止を招く。(この例だとどちらもなんだろうけど)同様にマイルールと相反する従うべき他人からの指示も、停止に陥りやすい。「構ってよと「放っておいて」は、誰しも難渋する。いつそのスイッチが切り替わったのか分からないからね。

ダブルバインドでストレスを与えうる顕著な例は、親子関係。大事だよと言葉では言われているはずなのに、どうにも愛を満たしてもらえない。これが矛盾の元締めで、そこからどんどん下ろされていく。「愛されているはずなのに、何で家に居ないの」とか。僕の育った家は、言葉がアクティブに飛び交う家だった。母は昔ながらのスピリチュアル好き。その情報を仕入れているからかのは分からないけど、愛を表現する言葉が沢山並べられていたと思う。夜寝る前には「今日もありがとう」と必ず言ってくれたし、遅刻して焦っている時には「遅刻しても死にはしないんだから気を付けて」と添えてくれる。ただ、母子家庭とか、母の育った家庭、とか矛盾の遠因となる事象が未解決にみっちり詰まっている。いつ食べるのか分からないタラのフライを詰め込みすぎた、もったいないを和らげるためのフリーザーは適切な温度管理をしなくなるように、愛の言葉も管理がなされなければ、常に愛の言葉通りとはならない。子供の頃の僕は、こんなに冷静に観察できるはずが無く、脳内を駆け巡るのは2つの相反する矛盾した言葉。子供にはどうしようもできない。

付言すると、このダブルバインドに更なる代理業者がいた。矛盾した言動を誰かが代弁する。愛しているからこそ強烈に。思考停止が深まっていったと思う。

 

3.言葉と態度

言動が一致しないと非難されやすい。言葉と行動。大人の世界観を一言で現す「言動の一致」。「俺は将来ファイブマンになって悪者を倒すんだ」は、ほぼ実現不可能な絵空事で真逆の様に見える。ただ子供の世界では指弾されない。結局のところ、一致しているかどうかは、過去か未来のことであって確かめようが無い。なのでその尺度は本当に信じているかどうかであるように思う。おじさんが「ファイブマンになる」と真顔で言ったら危ないけど、それらしいことをそれらしい顔で言えば、その場においては嘘にはならない。

ダブルバインドにおいても、言動の一致がカギを握る。もう言うまでもないことかもしないけど、愛していると言うのに、愛していない行動。それがストレスを発生させる。子供にとっては命の危機。どっちを信じていいんだろう。「無」は「無」そのものから生まれるんじゃなくて、あったものが無くなって「無」となる。心の中に空洞があるような気がしているのは、きっと愛されていると思っても、矛盾した言動で取り払われるからだと思う。僕もその時のことを説明しろと言われてもできない。何となく記憶と思考を繋ぎ合わせるしかない。