僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

日本が嫌いと言わないようにしたい

コロナウィルス。まじファック。中国インバウンドを狙ったボスと、ボスのことが大好きな同僚の機嫌を損ねさせて、雰囲気が悪い。悪かった。

ある朝、イヤホンで音楽を聴いていたら「挨拶くらいしたら」とウーハーボイスで言われた。怒ってた。

うん、挨拶はした方が良い。人が人を認識した合図であり、発声練習であり、自分と相手の調子を測れるバロメータだもんね。

挨拶のための挨拶はルールフォールールで、空気に徒手空拳を喰らわせる位には無用。だと思う。いや待てよ。どんな時であっても彼女の世界で挨拶は、必要なのかもしれない。トイレットペーパーくらい。例え地震発生中でも「(グラグラ)おはよ(グラグラ)うございます(グラグラ)」とする程に重きを置いていたなら仕方のない話。僕が悪かった。

 

「日本人なんだから日本人らしくしてほしい。」と言われた。

日本人らしい振る舞いとは、何か簡潔に説明せよ(30点)の設問。基本的には暗黙知を十全に機能させる。行動の前後には逐一報連相をし、もしその際、年齢や役職等が上位だと思われる人が嫌な顔をしたら、その件に関しては今後せずとも良い。またその要不要の基準は日によって機嫌によって変わるため、必ず年齢や役職が下位の者が、その方法を含めて試行錯誤すべし。と答える。難しいね。疲れちゃうね。おじさんはね子供おじさんだから、複雑なことわかんない。

挨拶も、日本人らしく、も文化と言ってしまえば無罪放免。世界のほとんど全ての事象は文化にさえなれば議論の対象にならない。挨拶をする文化、年上をたてる文化。慣習としてやってきたから、そこに議論や改善の余地は無い。って思想。じゃあ文化vs文化はどうなるんだろう。日本文化vs中国文化。道端に唾を吐くか吐かない対決。結果は圧倒的なサポーターの声援など地の利を活かしたホームチーム日本文化の勝利。となるんだろうか。僕はならないと思う。文化は文化。人は人。みんな丸い地球に住んでる人でかつ違う人のだから違う生き物。

一方で、侵してはならない領域がある。尊厳の部分。「●●(中国人の蔑称)と⚪︎⚪︎(白人の蔑称)がくっ付くとロクな事がないんだよなぁ〜」は僕の感覚ではアウト。人種差別は、脊髄反射でダメ。人の変われない部分を歴史的な問題で型に当て込んで、あれこれ言うのはナンセンスの極み。気にくわない中国人も白人も沢山いると思うけど、それを人種で括るのがダメ。

日本人らしく殊勝にしないあいつ(僕)はダメ、話しかけないでおこうぜ、何なら仕事辞めさせようぜ、は文化vs僕。文化で、個人の尊厳をぶった切る。多勢に無勢。10年位前の洋画で1万vs11人みたいな映画があった気がする。見てないけど。そんな使い方。

だけど、日本が嫌いとは言わない。勝手な括り方だから。人種差別に近くなっちゃうから。だからコロナが悪い。と言う。悪者になってもらってすまん。コロナ。