僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

タピオカで学んだ違いについて

タピオカミルクティーを飲んだ。犬のマークが入ったかわいいお店。ファンデーションを濃い目にキメたマスク姿の女性が黒糖ミルクティーのLサイズを渡してくれる。「袋はつけますか」と聞かれて一瞬逡巡した。「何のための袋なのか」「これはタピオカを飲むときに必要なものなのか」それらの回答を出そうとして頭がフリーズしたところ、先ほどよりも強くて速い語調で「袋つけますか」の強打。その間僅か3秒足らず。さながらワンツー。「要らないです」と言っておたおた店を離れる。待てよ、なんだタピオカの店ってそんな立ち食いソバみたいなスピード感とレスポンス要求されるのか。カップルが、え~どうしよう~って泣く泣くひとつを選んで、インスタ写真撮ろうよ~ってくねくねする場所だ。そんな奴等にレスポンスで負けていようはずがない。おじさんだからか、僕がおじさんだからか。そうだろうな。

よく考えると、僕と彼女にある隔たりは「袋はタピを持って帰るために使うもの」という認識。まじで分らんかったよ。ごめんな。

知り合いのおじさんと一緒にお風呂に入った時、直前にニュースでやっていたコロナウィルスで日本人が揶揄されている話題から、人種差別の話になった。黒人が悪いじゃなくて、黒人の中には悪い奴もいる。日本人であってもそれは同じ。もしかすると教育レベルの差によって確率は変わかるかもしれないよね、そんなこと。全くの安全地帯から俯瞰すると素敵に正しい、誰も傷つかない言葉がぺらぺらと出てくる。I am justice。ただ、それは浴槽に浸かってふやけた僕が捻りだしたもので、実際の場面を想起していない。札幌にある狸小路で、黒人にぼったくられた高校の同級生は今でも黒人が嫌いかもしれない。まぁその同級生も何故だか分からないけど黒人並みに黒かった。僕の人生の七不思議のひとつ。

女性と男性の違いもきっと沢山ある。理論的か感情的かなんて言い尽くされている。けど、僕だって女性の違いを認められない部分がある。人種差別への意見と女性への意見が全く違う自分が悲しい。だから、少しでも違いを認め合えた証に、今度タピオカを飲む時には「袋はいらないですよ」と、ジェントルマンのように言おう。