僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

自分勝手の普遍性

周りが気になるよな自分。自分勝手なのに。といつも思う。誰だって勝手に酸素を吸って二酸化炭素を出して、お肉を食べてうんこを流す。誰しも自分勝手の化身。敬愛する人の言葉を借りると、誰しも罪人であり、貢献者である。

どこか企業が、成人男性の生活全てのデータを取る代わりに、生活保護時位の給与を出すという。何もしてない、けどデータは差し出している。お金が発生する。何もしないけど、ただそこにいる価値。レンタル何もしない人もそう。世の中世知辛い一方で、寛容。

もし世界の基本線が人は貴賎無く、等しく尊いんだとしたら、価値を提供してない(と思われる)人であっても等価値で、その価値、人に与える影響は必ずあってそれを認め合うのが大事。もう、●●しないと認めないって言うの無しにしない?違う存在を認めた方が良くない?

じゃあ自分勝手じゃない人って利他的な人のことなのだろうか。24時間走ろうが、カンボジアに学校を建てようが、街頭で募金を募ろうが、利他的じゃなくて利己的だと考えている。大学生の時、インドのホームレスの体を洗うボランティアをしたと語る人がいた。話のインパクトと正比例して、彼の顔は全く光を帯びていない。セリフだ。ただシューカツのためにやったんだ。彼がその体験談で望む会社に入れたかは分からない。ただあからさまに利他っぽいことも、喜ぶ顔が見たいんです、っていう利己的な目的がある。行為は利他を含まない。それを●●は美しい、金稼ぎは汚いとか言っちゃう方が下賤下賤。行為は必ずどっかで繋がってるから大丈夫。みんなにとって分かりやすくて、みんなにとって心地が良いものが美しいんじゃないよ。

「コロナの影響で経営が苦しい。痛みを分かち合いたい」と給料カット。ええええええ契約守らずに分かち合うって言うの??元々下がった給与が更に下がった僕らの痛みはどこにいくの??自分でペロペロすんの??

同じところの別の人の話「コロナの(以下同文)以降の給与は支払わない」えええええ契約書交わした意味あるの??サイン書いて「これはお互いに一通ずつ持っておこう」って言ってたのなんだったの??誠意云々なんて言わないけど、履行しようぜ契約を。

それでもlife is beautifulで、きっと世の中うまくいくし、契約破棄の人を恨んではいない。彼なりの理由があってそれをうまく説明できなくて、ええーーいってやったのだろう。知らんけど。辛いと保身に走っちゃうよね。