僕を考える

八島遼三郎です。心の言語化の場所としてブログを書いています。

引きこもりについて考える②

僕の知り合いが一日中ベッドにいる。台湾人なんだけど、コロナとか色々で参っている訳じゃない。それなのに一日一回も会わない。仕事とかビザとか住む場所など様々な決めるべきことはあるのだけど、それにはYESともNOとも言わない。ただ、決まったことには従うし、お金も払う。きっと彼は混乱しているんだと思う。状況が変化して、やりたいことがやりたいように出来ない。起きてしまった波をどうにかするために、彼は一日中パソコンを見続ける選択をしている。

引きこもりについて考えるの2回目は、どうして引きこもるという選択になるのか、を考えてみたいと思う。既に、友人について書いた文章で答えは出ているんだけど、いつものようにねちねち書いていく。

 

1.失敗の閾値

人は必ず報酬で動いていると思っている。利他的に見えても、必ず返ってくると思っているから利己的。それ以外だとどうやったって動けないと思う。利己が利他がベストって海外の子供を助けたいって目をキラキラさせている人が言っていた気もする。

指を動かすのも、水を飲むのも、何だっていつも報酬が発生していると思っていて、それがあるからこそ動ける。もし報酬が無ければ動く理由が無いって思ってる。もーーう全てのものが。むしろ、それをお金でやろうとしてるのが今の社会の在り方でしょ、実に狂っているけど、まぁ貝殻を使い始めた時にこの運命は決まっていたのかな。都庁があるすぐ脇に、ホームレスの家があるのを見てそう思った。

主題に戻ると基本的に失敗って、短期的に見ると報酬が無い。でもさ、赤ちゃんの頃って、ご飯引っ繰り返しても知らん顔でニコニコしてる。2歳3歳となっていくにつれて、お母さんが「こら!」と言い始める。子供がびくびくし始める。

基本的に構造は2歳3歳の頃に叱るお母さんと子供の関係と一緒なんだと思う。大人になってもそう。失敗を失敗として受け止めてもらえたか、その経験値が顕著に表れる。

教育批判をしたいんじゃなくて、こういう構造だよね、という話ね。それで、まぁそれなりに大人になった人でも失敗経験値が異様に低い人はいて(僕とか)、その人だって我慢はする。一回失敗して嫌な思いをしたからって、逃げ出したりしない。ただ、その失敗の敷居が異常に低い。だから、些細なことでも傷ついて、失敗ゲージが溜まる。元々失敗の閾値は低い、でも外界の人間は意外とずけずけ生きていて、自分と違う。どんどんたまる。そうして、物事から逃げ出す。それが引きこもりの始まりだと思っている。

 

2.甘えなのか

甘え、って言葉にずっと支配されてきたような気がする。

〇〇するのは甘えかな、〇〇したら甘えだと思われるかなとか。引きこもりは、甘えの総決算セールだと思われている。いや、僕もそう思っている。だって僕は働きもせず、何もせず、一応ご飯は食べてうんこして、果たすべき義務をこなしていない。

勤労の義務も労働の義務も納税の義務も怠っている。非国民か、いやそうじゃない。僕は憲法の方が間違っていると思っていて、義務を果たすためにはそれなりの教育が必要。その方法ってなんなん??となる。

そんでね、きっと甘えがもし非難されるものだとしたら、非難されるべきは関わった人全てに及ぶと思うのよ。だってそうじゃない?事件の被害者はかわいそうだね、ってなて、一方で引きこもりは個人責任、は違う。

 

3.コンフューズ

引きこもりの原因について、一言で言うとconfuseだと思う。どうにかしたい、どうにかできない、じゃあ次の手段、でも面倒臭い、でもなんとかしたい、その考えの連鎖が纏まりになって、頭を支配し、能動的に動くことを拒絶させる。

僕がずっとベッドにいた時、アイキュウは35くらいしか無かったと思う。ただ、元々低いというよりかは、フル稼働させすぎて壊れちゃったよね、って感じ。

もし、引きこもっている人が近くにいる時は、どうか強い言葉や、命令系で言葉をかけてあげないで欲しい。混乱しているから。混乱している時に、何か言われると余計混乱するでしょ。聞こえているけど、頭が処理できないのよ。ただ、見守ってあげてほしい。