僕を考える

八島遼三郎です。心の言語化の場所としてブログを書いています。

あっで始まるセンシティブな何か

あっ、という文頭の言葉をよく使う。

あっありがとうございます、や、あっそうなんだね、って。

この「あっ」は、クッション。言いたいことが正しいか、自負があるかを自分に問うたまま音を発しているから、緩衝材をつけたくなる。ありがとうございます、の含む傲慢さに耐えられなくて、尊大な自分をみたくなくて、傲岸不遜な奴を軽蔑する意味で「あっ」をつける。

 

今日は朝から、あっ、ごめんね。と言った。僕の自己卑下みたいな言葉の4秒前に、ごめんね、を僕は聞いた。

 

悟った。意思が中空に舞って、感情を俯瞰した。この言葉は言葉としての言葉じゃなくて、意思の表明なんだと。言葉をそのままに、悪うございましたの意味じゃなく、仲良くする気持ち。大人の世界では、音は大事じゃなく、態度がそれよりも重要。社会はそっちを見る。だから、言葉はけじめだし、踏み絵なんだと思う。心臓を掴まれるような嘘を吐くストレスをこらえて、宣言ができるのかどうか。

恐らく、人はノーリターンのものに対して強くできてない。ストレスしかかからない、かつ手元に戻るものの無いであろうものには、ストレスを自らに強いることができない。そう、人は神の偶像を足蹴にできない。

だから、社会のエンパワーメントの中で最も大きいものの一つであろう、序列付けを使うんだと思う。おじさんが、取引先に頭を下げられるのは大事な家族がいるから。チャラい男が華やいだ誉め言葉で女性を口説けるのは、他にも狙っている人がいるから。2番目以降なら捨てられる。賭けの対象にできるから、大胆になれる。

その大胆さは、人並み外れないと出来ないものだと思っていて、その豪快さに人はグッと引き込まれる。痺れる憧れる、だ。

一方で、人は自分の一番をベットすることを躊躇う。大事がゆえに失いたくないから。

 

その時に、気が付いた。あ、ベットされなかった。って。ジンバブエドルの札束が落ちても気に留めないみたいな、音としてのごめんね。

知ってる。そんな扱いの方が嬉しいって見方もある。序列の最高峰にいる時、人の感情は得てして揺らぎやすい。一番じゃないの?ってなる。大事だから憎いのアンビバレントな思いは、人を揺らがせて、簡単に死にたくさせる。

 

「あっ」の後、ハグをした。右肩と左肩が触れ合うだけの、本来のそれとは程遠い、握手よりも遠いハグ。