僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

僕は何者なのか

僕は何者なんだろうか、っていつも考えている。

だからこのブログは、僕が考えていること書き連ねていくことで、僕が何者なのか、実像を形作っていきたいと思っている。

 

札幌で生まれて、仙台7歳まで過ごして、両親が離婚。母親と三人兄弟で札幌に移り住み、28歳で結婚して長野県に移り住んでいる。

 

小学校中学校での成績は偏差値52くらいで、高校もそれくらいのところに入って、大学もそれくらいのところに入って、シューカツの波に負けまくって、大学院に行った。

 

教授のツテで入った、公共施設職員を3年間やった。最初の1年は、博士課程と掛け持ち。だけど、すぐに無理だって思って大学を辞める。

 

大好きな仕事になっていたけど一方で、給料が安い、年間を通してずっと同じことをやる、皆机に向かっていれば給料がもらえるってわかっているから、何もしない。

そんな職場だったから、3年間やって辞めた。

 

フットサルと筋トレが好きで、アトピー性皮膚炎のアレルギー軽く持っていて、ちくわ天と麻婆豆腐と鶏の唐揚げとカレーが好き。

 

今、仕事はしていない。長野に来て、工場の仕事をして嫌になって、嫌で嫌でたまらなくなって、辞めちゃって、妻に食わせてもらっている。でもその妻には離婚を突き付けられている。

 

ついでに言うと、母親にも絶縁をされている。僕が精神的に落ち込んで、薬を飲んでいる時に、「もう限界だから実家に戻らせてほしい」と電話をしても、出てもらえず、メッセージでその旨伝えると、無理だと。

 

仕事もしていなくて、妻からは離婚を切り出されていて、母親からは絶縁状態で、口座には300円くらいしかなくて、どうしていいかわかんなくて辛くて辛くて、毎日泣いて泣いて、泣き疲れたら寝る。生活の全てがそれで成り立っていた。生き永らえているだけだったと思う。

 

父親からもらった、5000円の長野オリンピックの記念メダルを渡して「これあげるから精神科に連れて行ってください」とお願いした。双極性障害と、発達障害の疑いという診断が出て、薬をもらった。

 

死んでしまおうと、カッターを手首に当てたこともあるし、障害者なんじゃないかって思って発達障害や、アスペルガーADHDなどのウェブ記事を読み漁っていたこともある。

 

死にたいと思ったとも本当だし、他の人に比べて多動で落ち込みやすいというのも本当で、本当だから僕の一部だと思っている。

 

2019 3/21 現在、状況は変わっていないけれど、気持ちは落ち着いている。だから、こうやって文章にしている。

僕がやりたいことって、僕が味わった苦しみを他の人に味わってほしくないってことなんだと思う。

もっと言うと、30歳の今、僕より若い人で同じような苦しみを感じている人は多分沢山いると思う。そういう人達と悩みを共有実したいし、なんなら解決の助力になりたい。

多分、それが僕。そうやって生きていこうって決めている。