妻について② 自分の中の傲岸さ
僕は今急いでいて、急いでこのブログを何とか投稿して、次の行動へ移りたいって思っている。このブログを書き上げなきゃ次に移れないわけはないのに。
なんでそう思ったのかって言うと、このブログで今書いていることって、過去のことで自分だけが知っていること。自分そのものでありのままだから、それを受け止めてもらわないと、次に移れないよ、という子供っぽいことだと思う。
人には、自分を客観視することと、それを言語化することって非常に大事だと思っていて、それを知らず知らずのうちにやっている人は、多分健やかに育っているし、つつがない毎日を送れていると思う。
僕も健やかに、つつがなくなりたいし、客観的にもそう思われたい。だから書くんだと思う。
前置き長くなっちゃった。妻との話の続き。
妻と付き合った当初の話は、ありふれているから僕もわざわざ文章におこす気力も沸かない程度のもの。
初デートでパスタを食べて、歩いて帰って、仕事帰りに迎えに来てもらって、あれなんか付き合ってんじゃね、ってなって、付き合って。
お互いカレーが好きだから、カレーを食べに行ったりしていたなぁ。
なんで付き合えたんだろうって最近は思うから、要件を列挙してみる。
表面上
・彼女いなかった ・性欲満たしたかった ・仕事がしんどかった
もうちょい深い部分
・甘えたかった ・自分の尊厳を保てる相手だと思った
彼女いなくて、セックスしたくてっていうのは、まぁ当然といえば当然だから、割愛するけども、仕事がしんどかったというのは、この時点ですごく重要なポイントになったと思う。
というのは、「もうちょい深い部分」と向き合えてたとしたら、それこそ自分は最低だと気が付いて、付き合わなかったと思う。だけど、仕事が忙しいというベールは、すべてをごまかしてくれるようで、そんなこといっっっさい考えることなくお付き合いに至った。
もうちょい深い部分について
甘えたかった、というのは、一般化していうと男性は女性に母性を求めるよね、ってこと。だけども僕はどうやら常軌を逸した甘えた人間らしく、母親のブログで僕の仮名は甘三郎。
実際のところ、彼女は僕の甘えた部分を許してくれた。仕事が何時になっても言えば迎えに来てくれるし、食事に行こうとしてどこに行くか全然決まらなくても許してくれた。
まぁ彼氏彼女の関係性なら何でも許せるってあるよね。今なら分かるし、今の僕なら「男女」関係は、彼氏彼女の仲であるからこそ良いって思っている。
・自分の尊厳を保てる相手だと思った
この部分は、もう少し時間が経ってから気が付いた。どういうことかと言うと、この人なら僕の言うことを聞いてくれるよねっていうこと。
彼女は、見目よくない。かつ、ぼんやりしていてのろま。そう、この相手なら(自己尊厳、自己肯定感の低い僕でも)何言っても何やっても大丈夫だなっていう、傲岸不遜。
僕の中に、こんな昭和の男みたいな価値観が存在するなんて思ってもみなかった。けど、実際のところそういう風に思っているから、なんで僕の言うことを聞かないんだ、なんで僕の思う通りに動かないんだ、って怒っていたんだと思う。
無知すぎるし、人を知らなすぎるし、人付き合いっていうものを知らなすぎる僕だったと思う。