僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

妻について③ 甘いぞ僕

最近は春めいてきて、日差しが暖かい。ある一定程度の温度を越えると、気兼ねなく出かけれられる。それ以下だと、体調とか気持ちとかその他諸々のことを、自分に出かけられますか~?と問うてみて、大丈夫そうだったら出かける。自転車に乗ってみて、やっぱり寒そうだったら迷わず帰る。

日差しがとても強いから、サングラスをかける。黒いモンベルのダウンジャケットとGUのストレッチジーンズもほぼ毎日履く。

ほぼ服装を変えないから、思考のメモリが減らない。これは、僕がやっているライフハック(?)みたいなもんで最高だと思っている。そう思ったら、ジョブスもやってるのね。あの黒いカットソーみたいなやつ。

 

前回は、僕がなんで妻と付き合ったのか、言葉にしてみた。

じゃあ彼女はどうして僕と付き合ったんだろう。

僕が考えるには、

・手頃だった

・ちょっぴり優しかった

くらいしか、思い浮かばない。だけど、僕が妻について書いた最初の記事で、これからの苦難を脳が勝手に想像して、茫然自失となったみたいなことを書いたように、彼女は彼女なりに、自らの課題とか、乗り越えたいものを僕の中に見たから、付き合ったんだと思う。

この何故この人と出会ったんだろうっていうJ-POPの歌詞みたいな視点は、大事だと思っている。

簡単に考えればお付き合いをして結婚したのに、なんで離婚なんてしちゃうんだ、失敗だ!って思うと思う。

実際のところ、失敗だったと思わない訳ではない。

もっと僕に合う女性が世の中には存在したことは確かだろうし、アンハサウェイみたいな人と付き合いたいとも思っていた。だけど、僕がこうして、過去の自分に向き合って、それを自己肯定感に変換する作業に至るには、彼女と出会うしかなかったと思う。

 

僕の駄目な部分を、覆い隠してしまうほどの魅力を持った女性は世の中にはいるけれど、僕は覆い隠されるのが嫌だし、駄目な部分を含めたありのままの僕を社会にもアピールしたいし、その自己肯定感が低い僕が、どうやってこの社会でサバイブしていくのか、経験したいと思っている。

 

そう、付き合ったポイントとなったのが前回のブログで

(ある程度)若い→付き合える(付き合えそうな相手)→結婚→だけどこの相手だと上手くいかない→だけど止められない

と書いた。

それを成しえるのは、自己肯定感が低い相手であり、自分よりも魅力が低くて(低いと感じて)、かつこんな駄目な僕を受け止めてくれるっていうことが必須だったんだと思う。

 

その点においては、彼女はすごく優れていたと思う。

 

なぜなら

・会話セッションみたいな仕事をしている

・受け止め上手

・自ら喋るのがあまり得意じゃない

・ぼんやりしている

 

分かりますか?そう、この相手であれば僕でもめっちゃわがまま言えるし、僕の心のモヤモヤもすべて受け止めてくれるし、自営業をしているから一緒に仕事を立ち上げて~なんてことも考えていた。というか想像をしていたと思う。

 

だから、僕の人生はこのあまり見た目が好きではない人と一緒にさえいれば、心の安定も保たれるし、甘えられるし、なんなら仕事もお金も手に入るんじゃないかって思って、毎日ウキウキだった。

この頃、僕は兄弟に「これまでの人生でずっと後塵を拝していたけど、26歳にして後ろからまくってトップでゴールできたと思う」って言っていた。

それくらい良い人だと思っていたし、人生はこれで変わるし、変えてもらえるって思っていた。

甘い、甘い、甘すぎる。