僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

自己完結の妙

今日はブログを更新するのが遅くなった。さっきまで無職エスプレッソダブルをしていたから(TSUTAYA併設のタリーズエスプレッソダブルを頼んで読書をすること)というのと、昨日に引き続きむしゃくしゃしていたのに引っ張られて、ぐずぐずしてしまった。

昨日歩いて桜を見に15キロくらい歩いたせいか、足が痛い。筋肉的にも痛いんだろうけど、おそらく神経障害性疼痛とか心因性疼痛って言われるやつがメインだと思う。

僕の体は昔からどこかが痛いことが多い。

例えば小学校の時、足首がずっと痛かった。原因は怪我とかじゃなくて疼痛だと思うんだけど、何かのストレスが痛みとなって足首を襲っていたんだと思う。ひどいときには夜痛い痛いと喚いたせいで、知り合いが救急車を呼んだこともある。それくらい悩まされていた。

小学校の時はスイミング教室をしていた。でもそこから帰ってくると足首が痛くなる。それを母に訴えると「どこかぶつけた?」と聞いてくれる。そうすると少し太っていた僕は、体重のせいなんじゃないかって思われるのが嫌だから「バタ足の時にぶつけた」と言っていたのを覚えている。

あぁ悲しきかな幼少時代。太ってたっていいじゃんか!って今の年老いた母と祖母になら言える。

 

今も足と腰が痛い。きっとだけど、薬をもらってきたおかげで肌の調子が良い。でも肌の調子が悪いことで、逆に発散できていたストレスが行き場がなくなって、昔懐かしい足首に昨日来たんだと思う。そして足の疲労が抜けてきたからか、今日は腰が痛くなってきた。どこか痛くなきゃならない体ってどうなってんだろう。

東洋医学とかだったら、何か我慢してませんか~?って言われる奴だと思う。わからんけど。

スピリチュアルだったらなんて言われるんだろう。そういえばDAIGO(メンタリズムの人ね)がスピリチュアルに傾倒する人は馬鹿(意訳)だという研究があると紹介していた。僕もそう思う。

けど、知能指数が高いことが全てじゃないし、低い人も高い人もいるからそれぞれに合ったやり方で勉強すればいいなって思う。スピリチュアルも自己啓発も怪しいビジネス書も言いたいことってあんまり変わんないなっていうのが僕の感想。言葉選びとか装丁とかが違うだけで、内容は似通っているなと。

 

そう、昨日の話。妻と仲違いした話だけど、今日は少し一緒に行動してみた。

僕は昼からサッカーを見ようと思ったけど、やっぱりやめて散歩をした。それで帰ってきたら妻が掃除をしてくれていた。最近は部屋の乾燥が気になっていたので、閉め切って加湿をしていた。そのせいか、部屋の空気がどんより重くなっていたので、妻が掃除して空気の入れ替えをしてくれたのは本当に助かった。

清々しいって大事。僕は感謝を伝えて、昨日のスーパーのことなんかどうでも良くなっちゃったって言って明るく振舞った。

そんで妻が出かけるというから、付いていこうかな、と言ったら「え・・・」みたいな反応。我慢するのは良くないよね。もうそれだけでいっぱいいっぱいな状態で、相手に許可を求めちゃうとうまくいかん。だって聞くってことは相手に許可を求めているってことだから、受け入れてもらえることもあれば、拒否されることもある。

でも僕は仲直りというか、上手くやっていきましょうよ~みたいな意志の発露としてやってるから、拒否されるとガクッと来る。

 

覚えろ、僕。相手に許可を求める時は、YESでもNOでもどっちでも良いと思える時しか問うたら駄目なんだっていう、大人の原則。

 

 

まぁそうこうして結局、妻は1人で出かけていった。

部屋のベッドでだらだらしていたらラインが来て、ジェラート食べに行こうと。行く、と即レス。

そのままの流れでツタリーズ(TSUTAYAタリーズの省略系ね。)に行くことに。

そこで、妻が「この本の人、前りょうずが言ってた人だ」と言うから僕は得意げに「もう読んだ、なんかちょっと違った」と言い終わる前に妻はしれっとどこかに行った。

 

僕が「え、なんで無視すんの」と言ったら「いや、そうなんだーって思ったから」。とのこと。

確かに、そうなんだろうけど言葉にしてほしかった。もっと言うと流石アンテナ高いねとか言ってほめてほしかった。ダサいけど。

そのあとは、各自本を読んでいた。

 

人生の「質」を上げる 孤独をたのしむ力

人生の「質」を上げる 孤独をたのしむ力

 

 僕が読んだのはこれ。

今まさに、僕が直面している課題だからどんどん読めた。

特に気に入ったのは、「孤独を楽しめない人は(中略)周囲に迎合しようとします。それはい自主性が育たず、『自分はこういう個性を持った人間である』と信じるアイデンティティが育たない」という箇所。

 

そう!!そうなの!!だから僕ってなんなのってずっと思っていた(る)の!って共感した。

最近は1人が大好き。1人でいる方が誰にも気を使わないし、自分で自分をコントロールしている感覚があって非常に楽しい。

あと、この本で書いてあったのは迎合しないで自分で考えて、自己完結しろよってこと。

 

自己完結って、興味深い。この言葉に当てはまる最たる人って僕は、お笑いコンビバイきんぐの西村さんだと思う。

(あくまでテレビを見た限りで)彼は、基本的に周りに興味が無いし、どんなことが起きていても、動揺もしなければ、わかってほしいっていう態度も取らない。

もっと言うと自分以外のことに集中をしていないし、相手に頓着も執着もしていない。何なら、この行動をとったらどうなるとかじゃないところで行動の判断をしているように見える。

それは自己信頼の証だと思う。心に自分しか置いていないこと、そう孤独だからできることだと思う。

じゃあ、西村さんが全て理想の人かと言うと、僕はそうでない。

自己完結は社会を生きるうえでのライフハックとして最も大事だと思う。相手とか環境とか物事とかお金とか人を左右するものに左右されないから。

 

自己完結が大事なのには疑う余地はないんだけど、僕は自己完結をしたうえで他人とも理解を深めたい。

自分じゃないから関係ないんだけど、そのうえで他人と認識を共通にできるってめっちゃ嬉しくない?

要はそこの匙加減が、人が多く悩む人間関係のミソだと思っている。

 

僕の場合、妻は自己完結する力がものすごい強い。

上の方で書いた、

 

僕が「え、なんで無視すんの」と言ったら「いや、そうなんだーって思ったから」。とのこと。

 

という部分で、その力が如何無く発揮されている。でも僕としては自己完結で終わらせてほしくない部分だった。

という具合に簡単に行違う。

だからこそ、自己完結で閉じる部分と、オープンにする部分、そのタイミングとかできる量とかが合致するのがいわゆる相性が良いってことだと思う。

ただ勘違いしちゃダメなのは、オープンマインドでいこうぜ!って好き勝手に自分の言いたいこと言いまくるのは、チャイルドマインド。そんな言葉あるか知らないけど。少し前の僕。