僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

生きることに思考は必要か

3/28 今日は駄目な日になる。そうしたくないけど、きっとそうなる。

いつもなら過去を振り返るんだけど、僕にその余裕はない。このブログの過去を書く時のスタンスを決めている。

それは過去を思い出して、それを前向きに捉えられること、もしくはこの出来事は悲しかった!と言えるくらいの精神的な余裕がある時に書くこと。

 

どちらも今日の僕にはないなー。

 

この前、いつもTSUTAYAでスピリチュアル(なのかな)の本を読んだ。その本には、人生は思考とか口癖が作るよ。だから良い言葉を使っていたら、タイムラグはあるけど人生は願った通りになる。ネガティブなことも自分が願ったものだよ、と。

 

わかる。わかるけど、なんか納得いかない。

意識がどうとか綺麗な言葉が〜とか、うまく言い表せないけど僕を否定してされているような気になる。

 

だって、この本を読んだ僕も、あなたも、おばさんもきっときっとその人の中では身も心も美しくて、誰かが干渉していいことじゃない。

 

それを、偉そうに著者が願ったとおりになったから、本にしちゃお!これで救われる人もいるでしょ!って思っていることが気にくわない。全部気にくわない。

 

じゃあこのブログはなんなんだ。ってなる。メタ的になると収集がつかないのでこの辺りにする。気の迷いということでひとつ。

 

ハウツー本が流行っているらしいけど、僕個人としては結構好き。人が生きるうえでこういう風にしたら楽だったよ!っていうことは、すごく参考になる。その積み重ねは、人類の叡智じゃないかとも思う。

だから、基本スタンスは好き。だけど、読みすぎると、それに支配されちゃうのが怖い。

僕だけなのかわからないけど、何にも考えずに行動するって難しい。ことあるごとに、「これをやったらこういう影響があるかな」とか反射的に思っちゃう。

それって、僕が長年苦しんでいる「行動に移せない僕」そのものなんだと思う。

 

昔親に眉毛を整えたことを怒られて、この歳になるまでそれをすることに罪悪感を感じていた。眉毛ひとつですぜ。

 

そう、行動に移す時に脳はクリアであった方が良い。色んな知識とか言われたこととか、本に書いてあったことで脳がジャミングされちゃうのはまずい。脳が決断をするメモリを余分なことで消費しちゃう。

僕は、なんでそうなのかわからないけど

脳にたっぷり記憶がある→決断するのに色んな情報を引っ張りだす→その収集で決断できるメモリがなくなる→後回し、引き伸ばし→切羽詰まる→失敗できない→よく考えなきゃ

というループだと思う。

 

このループは更なるループを生み出すと思っている。さっきのループを便宜上「Aループ」とすると

 

Aループ→自信がなくなる→他人と関わるのがしんどくなる→家族か恋人にしか思ったこと、抱えていることを言えない→家族恋人も疲弊して上手く対応する余裕なくなる→認められてないと落ち込む→家族恋人のせいで動けないって言い訳ができる→動けない→Aループへ

 

というループから僕も抜け出せない。

 

これだけ俯瞰して見ているのに、じゃあ家のドアを開けられるかは別、となっちゃう。

昔から考えることは大好きで、考えている僕格好いいって思っていた。けど大人は行動が大事。

それには考えない方が進みやすい。

僕進めるのか。

はて。