母について① お別れをした
何だか、昨日は不安定だった。肌の調子は悪いし、コンサータを飲んだせいか眠くてたまらなかった。
無職の僕が今生活の中で大事にしているのは思考すること。だから思考がまとまらないのが何より辛い。
だから、このブログは今の僕にとってすごく大事な存在。過去に囚われている僕が、過去をどうやって考えるのか、どういうものとして扱うのか、その確認作業と認定をする作業だと思いながらやっている。
僕の中で、過去のことが良いことでも悪いことでもありえる状態は、とても苦しい。その日の精神の状態によって、過去のイメージが変わってしまうから。
どうやらそれが、精神が不安定だってことなんじゃないかって思う。決められなくて宙ぶらりんでいること。
ブログっていうのは、心の中を浮遊していたモヤモヤを、固着させることなんじゃないだろうか。
本当はというか、理想的なのは、過去を前向きに捉えて言語化することだと思う。だけど、その時僕がネガティブに捉えたのも本当で、僕はそれを大事にしたいし、それを糧にしていきたいと思う。だから、このブログを書いている。
これまで、妻の話を書いてきた。一段落したとはそんなに思っていないんだけど、今日からは母との話を書いていこうと思っている。
それは、妻と僕との関係性にある。妻とのことを(悪口めいたものを含めて)書いていると、僕の中で許せなかった妻が、段々と許せるというか受け入れられるようになってきた。当然妻も人間だから、僕が受け入れると、妻も同様に受け入れてくれる。結婚3年近いけどようやく正常な人間関係の歯車が回り始めたような気がする。
まぁだからといって、これからもずっと一緒にいるかというと違うんだろうけど。
この投稿の最初に書いたけど、昨日は不安定だった。なぜか考えたけど僕の頭の中を去来するのはやはり母の事。「なんでこんな家庭で育てたんだよ」とか「もっとこうすればよかったんじゃないの!」って久しぶりに思った。
このブログを書き始めたころは、絶縁されてもそれで良いことだし、今はしんどいけど未来の僕が良いことにしてくれるだろうって切り替えていた。
だけど、昨日は違うんじゃないそれ!って思った。辛いと思ったことも結果だし、やっぱりちょっと変な環境で育ったことで僕が苦しんでいるのも結果。その因果関係はわからないし、まとめると自分のせいでしかないんだろうけど、でも!でも!でも!って思う。
だから、過去との折り合いをつけるために、書いていく。
さぁ母の話。
母は、北海道の田舎で育って短大を卒業して、仙台の父と結婚し、僕ら三人の男を産んで、七年で離婚した。札幌に戻って、今は次男と共に暮らしている。
なんか、書いているだけで涙が滲んできた。
僕が直近で母と会ったのは、東京だった。離婚届の証人になってもらおうとしたけど、上手くいかなくてケンカして、僕はその晩ネットカフェに泊まった。
もっと詳しく書きたいんだけど、筆が進まないし、僕の中でそのままでいろ、変化はするなっていう指令がビシビシ出てる。
東京で会って、母は貧乏な僕を慮って、神保町に洋食を食べに連れて行ってくれた。その古めかしいお店ではカキフライなんかを食べて、さぁ次はカレーだ!って誘いだしてくれた。
そこのカレーは美味しくなかったけど、そこに行くまで迷いながら話をしたのが懐かしい。(この一節を書いているだけで号泣してる)
カレーを食べた後は、何かほしいものないの!?って言ってくれて、僕が運動靴が欲しいって言ったので、スポーツショップでアディダスのランニングシューズを買ってもらい、今まで履いていたのは捨ててもらった。
それから、代々木にあるパン屋に行って、サラダを食べた。ルッコラとかチーズとか生ハムが入っている素敵なサラダ。生ハムを一口あげるって言われて、僕が一枚食べたら、実は一枚しか入ってなくて、ああーってなった。
それから焼き小籠包とタイ料理を食べに町田に行った。町田は冷たい雨が降っていて、お店の場所が良く分かっていないうえに傘も持っていない僕らは、濡れて体温が下がった。
この世で一番おいしいんじゃないかって思うほどの焼き小籠包を食べて、タイ料理屋さんへ。
そこでは、沢山注文した。パパイヤのサラダ、豚肉の辛い炒め物、タイ米、などなど。
僕が普段、外食をあまりしていないのを分かっているからか、沢山頼ませてくれた。
そこから電車に乗って品川のホテルまで帰った。
もう妻とのこと、僕のことを伝える段階だってとっくに気付いていた。けど、わかんない振りして、それがばれないように大して意味もないことをべらべら喋っていた。
ホテルについて、これお願いしますなんて言って、離婚届を母に渡した。
そしたら母は「結婚届けの証人はやらなかったけど、離婚届けの証人は、あんまりよいことじゃないから私がやるのよ」と言ったり「りょうちゃんはこれからどうするの」って聞いてきたりした。
僕は東京か上田で自立できるように頑張ろうと思っている、というようなことを言ったと思う。
僕が母に会いに来たのは、離婚届のサインのためじゃなくて、今までどれくらい辛かったのか聞いてほしかった。僕の苦しみを受け止めてほしかった。
だから、僕は泣いてしまった。でも受け止めてとは、言えず「なんでそんな詰問するような言い方なの」って泣きながら怒った。本心は受け止めてほしかっただけなのに。
僕は、ホテルを出ようと荷物を詰めていた時に聞いた「僕がこうやってホテルから出ていこうとしているのを見てあなたはどう思うの」って。
そしたら母は「もしかしたらもう二度と会わないのかもしれないって思っている。悲しいけどしょうがない」って言った。
僕は、もう振り返らずにホテルを出た。
その時の僕は、多分防衛反応で気持ちが切り替わっていた。
山手線に乗って、ネットカフェがありそうな場所はどこだろうなんて思いながら、渋谷で降りた。
渋谷は思ったより人が居なくて、ギラギラした繁華街もなかった。
30分くらい歩き回って、とあるネットカフェに泊まることにした。
フルフラットシートで、横になったけど、寝られない。
これが、僕と母と最期に会った時の話。