僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

妻について⑦ 仕事を始めた理由

 

皆様、聞いてください。僕、アルバイトの応募したんです。

ユニクロの接客なし、短時間、期間は短く!みたいなやつに。

そのユニクロは、歩いて行ける場所にあるから車が無い僕には嬉しい。

昨日、web応募したから多分電話がくるはず。それを待っているんだけどそわそわしてドキドキしてしょうがない。

昨日の夜、エイヤ!ってweb応募のボタンをクリックするまでにも、ものすごい時間がかかった。まず、応募の文章を考える。これは割とスムーズにいった。だけど、いざクリックをするとなると「こんな仕事僕にできるのか」「30歳が急に働いたら馬鹿にされるぞ」「面接なんて受からないだろ」「面接まで行っても面接に来ましたって、年下のユニクロ店員に声かけられないだろ」等々等々、ネガティブな気持ちに襲われまくって、一歩が踏み出せない。

 

僕は、自分が1人だって思った時から、落ち込んだ毎日から抜け出せたと思っている。だから、決断は自分ですることがベストだし、大人だと思っている。だから、どんなに緊張しても妻には話さないで、決まってから、「決まったから~」と伝える予定だった。

そう決めていたから、夕食を食べたあと、最近はまっている夜散歩に繰り出した。夜散歩では僕は外界から自由になって、思考も行動も制限されない。歌だって昼間以上に歌う。

夜の国道沿いを、色々考えて歩いた。

「お金が無い」「でもユニクロの給与では人生逆転はしない」「東京に行って自分で仕事がしたい」「じゃあ引っ越し代とかもってくれる仕事をやっぱりした方がいいのか」「でも一歩ずつだよな」「一気に突拍子もない行動をこれまでとって成功してきてないだろ」「でも皮膚科にも行けない、お米もなくなるみたいな生活をだらだら続けていいのか」

って悶々としながら、歩く。

 

僕の家の近くにはスポーツクラブがあって、そこの駐車所に知り合いの少し目立つ車を見つけた。もしかしてランニングマシンやってるかも~なんて思って近づいてみると、やっぱりいて、窓ガラス越しに手を振った。そしたら気付いてくれて、でもそれだけ。

 

その駐車場を出て、手を振った彼のことを思い出す。僕が今迷っていることの当事者が彼だったら、僕はどう思うかなって考えた。

 

答えは「まず、やってみたら?」だった。

 

家に着いて、もう寝ようとしてた妻を無理くり起こして話を聞いてもらう。本当は聞かないつもりだったけど、ドキドキが勝った。

これこれこういう状態で、応募を迷ってる。やってみた方が良いのもわかっているから、応募書類もほぼ作った。だけどドキドキしてる。ジョジョでも「迷ったらやめなさい」って言っていたし、なんて言った。

彼女が何か言う前に、僕が「応募しても死ぬわけじゃないし、応募するわ!」ってクリックした。昨日はそういう経緯。

妻に多分寝られないと思うわ~ははは、なんて言いながらしっかり寝た。

 

だけども僕が駄目なところは、電話を待つことが極端に苦手ということ。電話がかかってくるであろう常識的な時間になると、もう心臓がバクバクして、ご飯の味がわからない。

このままだったら、僕ドキドキ病で死んじゃうかもって思って、コンサータ飲んで寝た。

僕が、アドレナリン優位の時に見る夢は、止まらない車の夢。今日は、白い車に何故かアンジャッシュの児島を乗せて、知らない道を走っている。当然ブレーキは効かない。なぜか窓ガラスも曇ってくる。ああ~もうだめだめ!ってなって目を覚ます。

そんで、あ、今日はもう電話こないかもって思ってこのブログを書きだした。

 

そう、移住してからの話。

移住してから僕は、工場での勤務をした。レジスターを作る工場で、9時から17時くらいまでの仕事。この話もいつかブログにしようかと思っているから、またいつかに。

 

僕は好きでもない、工場の仕事をしたかって言うと2つ要因があった。

ひとつは前の投稿に出てきた友人の存在。彼は、僕との仕事をやろうっていう話から、東京でのサラリーマンを辞めてとある自動車工場での仕事を始めていた。高給!寮あり!一時金あり!みたいなやつね。

 

僕は、彼と同じような道を行くんだろうなという謎の自信から、工場での仕事を選んでいた。また、手っ取り早かったというのも大きい。僕の住んでいる上田市は工場が多くて、募集は常にしている。

手っ取り早いというのは、妻に対して見せつけている要素もあった。妻はぼんやりしているから、こっちに来てもどうせ動き出し遅いんだろ!って思って遮二無二になって仕事を決めた。

 

あぁもうお気づきでしょう。他人本意なんだよなぁ。

 

だからうまくいかない。自分で決断していないから責任がとれない。自分で責任が取れないから頑張れない。頑張れないから職場でも信用されない。

 

一方妻は、牛乳配達の仕事を始め、暫くすると自分でマッサージをできる場所をみつけて、始めていた。

僕は工場の仕事を1年半くらいやって、退職した。

 

結局、妻の方が自分のやりたいことをやって、結果をだしている。僕は、妻が悪いんだ!って怒ってばかりで仕事も長続きしないし、長野にきて若い人達が心安らげる場所をつくるという大目標も、全然進まない。

 

次は、無職時代を振り返ろうと思う。