僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

言葉の効用

僕は、言葉が好き。僕の母は読書家で、寝室の壁は本で埋め尽くされているし、双子の兄も本が好きで小説家になりたかったらしい。そういう家だから、言葉の使い方に厳密だった。

ら抜き言葉とか、敬語とかとにかく間違った言葉遣いはするような家でなかったと思う。(だからと言ってこのブログの文章をチェックはマジでしないでほしい。すみません)

ケンカをする時は討論をしているかのような、知性的でかつ感情的な言葉のやり合いが日々重ねられていてある意味で修業のような毎日だった。

難しい言葉の格好良さとか、この感覚にはこの表現が合うとか、ケンカの時には討論のように感情をぶつけあったり、兄弟間で色々試行錯誤したりけなし合ったりしてきた子供時代だったと思う。

 

だから、今でも言葉にはこだわりがすごく強い。「どういう意味で使ってるの!?」ってわかっているのにわからないふりをする、言葉の似非原理主義者みたいな振る舞いをしていたこともあった。あぁごめんみんな。

 

まぁという訳で言葉が好きだし、言葉に対する意味を見出す人に育ったと思う。

 

そんなわけで、言葉の話。欧米人はラブとかグッドとかジョイとかをよく使う。pretty goodとかはすごくよくつかう表現。
日本で「良いね」言うと本当に良いの?悪くないの?っていう疑いが込められる感がある。僕だけ?いや、そんなことないでしょ。
 
その差は、肯定的な言葉を使う数にあると思っている。あんまり知らないからイメージでいうけど、グッドとかラブとかよほどのことじゃない限り、英語ではそんなに意味を持って使用されてないと思う。きっとだけど、肯定的な言葉も否定的な言葉も、ある程度使い続けると音と文字の見た目が残って、使う人にとっての意味は殆どなくなるんじゃないか。
 
言葉の意味が実質的になくなることは、その言葉が普遍性を帯びていることを表す。と思う。毎日、「起きてる」とか「生きてる」とか「歩く」とかわざわざ言わない、当たり前になっている。それと近い現象がおきていると思う。
 
例を出してみると
 
英語:I love you. 日本語:愛してるよ
 
これ、どっちが重い?日本語じゃない?「愛している」の裏側に、めっちゃ情報でてこない!?愛されちゃったら、家事しなきゃいけないのかなとか、女性らしくいなきゃいけないのかなとか色々疑心暗鬼にならない?僕はなる。
 
日本と欧米との文化の差、と言ってしまえばそれまでだけど、言葉は使って使って意味がなくなるまで多用した時に当たり前になると思う。だとしたら、悪いが当たり前よりも良いが当たり前になったほうが絶対心地よい。
逆にネガティブな言葉は、記憶にへばりつく。人から言われた悪口って覚えているもんでしょう。

基本的に世の中に価値判断をすることはそんなに必要がない。加えて究極的には、言葉も世の中も僕もあなたもポッキーにも意味はそんなに無いとは思っている。

 

けど、「良い」が普通になったら生活水準も気分の水準もきっとあがる。

 

ポジティブな言葉をみんな言おうぜ!とは言わない。

それ自体は正しいと思うけど、きっとそう言われても人には響かない。

僕の能力ではこうやって沢山文字を使って説明しかできない。そんなの誰も会話では長くて聞いてくれない。だからこうしてだらだら説明を書いてる。

届け、誰かに!