僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

弱った犬理論

今日は起きたら雪が降っている。夜中のうちからパキパキ音は聞こえていて、雨にしては大きい音だからなんだろと思いながら寝ていた。今思えばそんな音をするのは雪以外では小魚が降った!みたいなそういう謎の現象でしかあり得ない。小魚もあり得ないけど。

海なし県である長野県の我が家の駐車場に、小さな蟹が干からびたものが落ちていたことがある。「駐車場の蟹」ってシュールな小説のタイトルみたいで大層気に入って、外に出るたびに見に行っていた。けど、いまだになんだったのかはわかっていない。沢蟹?

4月も10日になってから雪が降るだなんて想像だにしていなかったから驚いた。休み(毎日だけど)の日に雪が降るとお正月の気持ちになって嬉しい。だから今日は朝昼兼用ごはんにお雑煮を作った。

それを夫婦で食べている時に、また諍いになった。

僕がお雑煮の用意をしている時にテレビで発達障害が7割いる会社~みたいなことを取り上げていた。僕としては結構気になる内容。

そうしたら妻が「こういう障害者への対応の仕方がわかんないから、(テレビとか雑誌とかで)教えてほしいのよ~だって私暇だからそういうことならすぐ習得できるよ~って話をしていて、そうだね~」っていうお客さんとの会話を教えてくれた。

妻は、知的障碍者の施設で場所を借りてマッサージをしている。だからこの話は主に知的障碍者のことを指していると思う。

なんだかムッとした。僕は自分を発達障害の疑いがあると思っている。だから、どういう風に身を処したらうまくいくか、すごく苦労して時間をかけてようやく30年かけてなんとなくわかってきた。

それと同じようなことを働いてもいない(僕もだけど)老人が、テレビとかで教えて~無料で~受け身でも全然わかるようにして~。っていう態度が気にくわなかったし、妻も僕のことを理解してくれていると思っていたから、ムッとした。

だから妻にそのことを伝えたら、黙った。そうして出かけて行った。

 

この関係性、どうしたらいいんだろうって毎週思う。4/5にも59円でケンカした。

離婚を前提の関係で、仲良くしているけどでも分かり合えずにケンカする。

僕が「そういう話をしたんだね~って」言えたら、この他愛のない会話はどこかに流れて行って海に放流されてなかったことになったけど、僕のプライドがその小さな粒を拾い上げた。びしょ濡れになったら服を乾かさなきゃいけないって知ってるのに、飛び込んじゃった。

単なる会話に、責任とか義務とか勝手に色々乗っけて聞いて、勝手に怒った。そんな自分に落胆はしないけど「そんなに大事に思っていたんだな」と内省する。

今朝の出来事での2人の心情を要約すると

僕:苦労してきて積み上げたことに関してだから怒った

妻:話をしただけで怒ったことに落胆した(あるいは怒った)

という構図だと思う。

 

内容はともかくとして、互いに「理解してもらえるだろう」っていう期待と信頼と甘えがあった。

昨日僕は、本屋で発達障害の本や脳機能の本、双極性障害の診断方法みたいな本を読んだ。だから、俄かに専門家を気取ろうとした。怒るってことは障害やその対応についてまだまだアマチュアってこと。ひとつの物事に時間と体力と精神とお金をかけたものは、悪意のないただの会話で瓦解する筈がない。そう、未熟ゆえ。

高いプライドと、少ない経験と知識がそうさせたんだと思う。こう例えると主語が曖昧になる。

正しくは、高いプライドと少ない経験と知識しかない「僕が」怒った。だ。

 

この良くない気持ちの表し方を、弱った犬理論と呼ぼうと思っている。

具合悪い犬ってよく吠えるでしょ。

f:id:yashimaryoz:20190410141747j:plain

これは弱っていない、誰かの犬。かわいい。