僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

ライフハック

僕はライフハックなるものが好き。

昨日、フットサルの知り合いにライフハック教えてあげようかと言ったら「ライフハックってうわ〜」って思った、と言われた。

ちなみにそのライフハックは、辛い時はピカチュウになりきれっていうオリジナル。

1人で「ぴぃかぁー」「ぴかちゅっう!」って言ってると、考えすぎが収まる。結構簡単に真似できるから没頭できる。なんとかアナウンサーが、しんどい時マイメロだからわかんなーいって思うようにしているのと同じ手法。

 

ライフハックがなんで好きかって、まとめられているから。経験で学べとか、苦しんで身につけろはもう前近代的で、意味がないとは言わないけど時間の無駄だと思う。

ホリエモンもお寿司修行で同じようなことを言っていて叩かれたよね。多分。

 

楽だし、簡単にできるものだったらより好き。

 

でも当然こだわるものってそれぞれあって、僕は筋トレと食事がそう。面倒な部分を含めたそのものが好きっていう愛情。

「痩せたい人のための、モテ筋トレ」みたいなのは正直嫌い。筋トレは筋肥大させるために、筋繊維を如何に破壊出来るかであって、痩せるとかモテるとかそういう類のものじゃないっていうこだわりがある。ある意味で原理主義

 

食事も、夜ご飯はうどんでチャチャッと済ませよ〜なんてこと言われたら問答無用でキレられる。というか無視して違う飲食店に行く。

 

僕も省ける手間は省きたいから冷凍食品とか外食はするけど、味まで省くというところまではいかない。

 

よく考えると、なんで効率化したいかって、怠けるためだと思う。なるべく辛いことはしたくないし、嫌な人とも会いたくない。

嫌いな仕事をする時間があったら、筋トレとフットサルをしたい。

そういう時間を作るために生きている節はある。

 

一方で、仕事をやろうとしている僕もいる。なんでなんだろう。

考えてみたけど、次の世界が見たいからだと思う。

僕の言うそれは、辛い人がしんどくなくなっている世界。当然空論だけど、見える範囲でそうなってほしい。

辛い仕事とか、しんどい精神状態とか、もうやめていいんじゃないのって思う。

 

「怠けたい」と「次を見たい」という両輪があると、ライフハックに行き着くと思う。

 

だからできる限り省力して最大の効果を得られるように、僕もしたいし皆もそうあってほしい。

そのやり方を模索するのが努力の正体なんじゃないだろうか。