僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

繊細あまのじゃく

昨日は妻が休みだったので、コーヒー豆を買いにカルディに行った。リッチブレンド200グラム2番挽きで、と頼む。店員が「ダイヤル回しまーす」と大声を出して次の人が間違わないよう、警戒を伝える。

確か600円くらい。高いか安いか。ネットで1キロ幾らみたいな買い方をしたのなら安くつく。けどカルディは豆を選べて、ある程度煎りたての豆をその場で挽いてもらえる。きっと安い。このサービスは個人店が最初にやっていたのをカルディが規模を大きくして値段を下げて始めたんだと思う。(他にもやっている大型店はあるけどね)。

こだわりのコーヒーショップで買うより、安くて鮮度の良い豆が買えるとなったら大多数の人はカルディを選ぶ。資本力の差。

でも中には大衆店で買うことが嫌で、自分が選んだ店で豆を買う人もいる。好みとかプライドとかこだわりで経済は成り立っているなぁと思う。僕はコーヒー豆にはこだわらない。

僕は飲んでぞわぞわするコーヒーが世の中に沢山ある。口に入れたら皮膚の裏側に刺激がドドドドっときて味よりもその感覚に支配される。

こだわりはないけど、ぞわぞわコーヒーが苦手。

 

そう、苦手なものが僕には沢山ある。

例えば香水。名前は忘れたけど妻に香水を買ったことがある。女性的で良い匂いだね、と言っていたのだけれど、それを妻がつけると途端に具合が悪くなる。頭痛がして閃輝暗点が目の中でチカチカして吐きそうになる。

 

油にも弱い。酸化した油をとると、手のひらが痒くなってすぐに湿疹ができる。札幌にいた時、深夜まで働いた帰りにピザポテトを一袋買って食べたら、両手両足にひどい湿疹ができて歩けなくなった。

 

睡眠不足にも栄養不足にも弱い。8時間寝ないとすぐに頭が痛くなるし、栄養が足らないと手足が冷たくなって動けなくなる。

 

ビジネスホテルの固いシーツでも寝られないし、ツルツルしすぎていても不快になる。喉と皮膚が弱いので乾燥にも弱い。

調子の悪い時には派手な格好をしたおばさんを見ても、汚い恰好の人を見てもイライラして機嫌が悪くなる。週末のごった返した量販店は、気を張らないと行けない。

 

こうやって、文章を書くのにも一苦労する。少し音があったほうが集中できる日と無音の日の方が良い日もある。今日は無音デー。

 

問題は、そういう弱い自分にあまり気づけないこと。

 

僕の脳は恐らく過剰に働きすぎている。考えが浮かぶときはポンポン浮かんで、集中しなきゃいけない時にもどんどん出てきて殆どの時間脳内がうるさい。

脳内のメモリがどうでも良いことに消費されて、自分の体の反応に気づけない。常に緊急ランプが灯っている状態だから、相手の些細な言動がエマージンシーの様に捉えられて過剰に反応する。

自分の変化には気づけないけど、相手の小さな変化には敏感。この症状とお付き合いして生きている。

 

体が敏感で、脳は過剰に働いて、でもその自分に気づけない人におすすめなのは、システム化だと思う。

心の中でも日記でも良いけど、公式を沢山ため込む。

例えば、「香水が苦手だから、付けている人からは離れる」「スナック菓子は食べても少しだけ」みたいに、自分が心地良く生きられる環境を言語化して、それを守る。

 

はっきり言って難しい。だから僕は試行錯誤している。

例えば集中したい時。

テレビをつけて、雑音の中で文章を書いてみる。集中できなかったら消音にして視覚情報だけにする。それでもだめならテレビを消す。それでもだめならいったん辞める。

これの音楽バージョンもある。歌詞のある歌→ピアノ→ヒーリングミュージック→イヤホンだけ耳につける。→何もなし、という具合。

因みに今は、イヤホンを何も音をつけないで耳栓代わり。

 

妻を見ていると、自分の公式は当たり前に用意している。それを幼い頃からやっていて、心地よい自分が普通。羨ましい。

 

「普通に心地良い」では満足しなくて、「自分で探したオリジナルの心地よさ」が欲しい。みんなそうやって生きているのだけど。後発組ならではの捻くれた発想。そうしないと単に遅れた人になっちゃう。それはあかん。

 

だから、「繊細な僕って格好良いよね」「人生は自分探しの旅だよ」ってミスチルみたいな言葉で自分を鼓舞して、なんとかやってる。

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猫。動物は「俺繊細だから~」って自虐風自慢しないのか。