僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

僕と妻

「トイレに人参のカケラが落ちてたよ」って優しく言ってくれる妻と、離れる決断をした。

 

出会ってから5年が経つ。僕は25歳、妻は28歳の時。

まだ実家住まいだったころに、母の知り合いとして現れた。第一印象は大きくて頭ボサボサ。

2年後に僕の妻になる人は、柔軟剤の匂いをぷんぷんさせて、大きい身体をなるべく小さくして笑っていた。

 

彼女の乗っている小さい車で、どこまでだって連れて行ってくれた。僕が不機嫌になったら夜景の見える山の中。僕がカレーが好きだからって隣の市まで。仕事で疲れたら、必ず迎えに来てくれた。

 

ガラケーのメールで唐突に僕が「サッカーと哲学とカレーが好きだ」って言ったら、妻は「私はそれのバスケットボール版」って優しく返信してくれた。

 

自分がどんな人間かを、妻が全部教えてくれた。

料理が得意なことも、掃除ができないのも、コミュニケーションをとるのが下手くそなのも、すぐ機嫌が悪くなるのも、妻という相手がいたから理解した。妻が受け止めてくれたから、直そうって思えた。

 

仕事が急に入ったってウソついてやった、荒天の中でのサプライズのプロポーズ。段取りが悪くて、めちゃくちゃ下手くそでも「もちろん」って言って受け止めてくれた。

その後に行ったレストランが美味しくなくても、ニコニコしているし、はしごだ!って言って食べに行ったラーメンも付いてきてくれた。

 

札幌から上田に移住する時も、自分のお客さんが地元にいるのにも関わらず何も言わずに着いてきてくれた。

本当はしたかった結婚式をしなくても、撮りたかった結婚したよ、の写真をいつまでも撮らなくても、我慢し続けてくれた。

何もできない僕を、不甲斐ないって責めなかった。

 

僕が仕事を辞めても文句を言わないし、無職のくせに妻に当たり散らしても、もう死んだ方が良いんだってカッターを持ち出しても、最後には大丈夫って抱きしめてくれた。

 

僕が今生きていられているのは、妻のおかげ。

地獄の淵にいても、もう一回生きてみようって思っているのも妻のおかげ。

 愛してる。本当に愛してる。

 

妻も人の子。子供の部分もあれば、大人の部分もある。

僕は妻の大人の部分しか認めないで、そこしか見ないように付き合ってきた。

僕が子供で居られるように、怒ったり、喚いたりして、妻が子供にならないように、妻が欲を出さないように、5年間押し込めた。

 

甘える僕と、甘えさせる妻。子供のままでいる僕と、大人の妻。

何もしないで許される僕と、責任を果たし続ける妻。

 

その構造自体が、2人を苦しめる。僕は何もできなくても妻さえいれば、当座の満足は得られる。妻は苦しむ僕が、喜ぶのであれば優しい顔をする。

限界なんだって、ずっと前から知っていた。でもそれを引き延ばして引き延ばして、妻にもっともっと優しさの仮面を被らせて、その構造に居座り続けた。

 

妻には、どっしり構えた男らしい人が良い。

 

もっと頼りがいがあって、車を持っていて、きちんと働いていて、近所づきあいもできて、子供が欲しくて、アウトドアもできる人が、妻には良い。

そういう好みを理解していても 、僕は僕でしかなくて、愛する妻よりも自己愛にしがみついて、妻の想う夫には1秒だってなれなかった。ずっと正反対に居続けた。

 

幸せになって欲しいなんて、思うことがおこがましい。

 

40歳になっても、お互いがまだ何者でもなかったら、もう一度結婚しようって話をしている。

その時は結婚式だって挙げるし、笑顔で写真も撮る。近所の人とバーベキューもするし、大きい車を買って、週末はキャンプをする。

 

#「迷い」と「決断」

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