僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

フリフリの服から始めよう

アイアンマンを観た。ロバートダウニーJr.演ずる、武器会社の社長トニースタークが、格好いい兵器を身にまとって、敵を倒す話。めっちゃ単純。

アメリカ映画の良いところは、子供心を満たすのがすごく上手なこと。

最初の方に出てくる、崖の上に立つ窓の大きな豪邸。憧れる。グランドセフトオートに出てくる一番高い家と似ている。

器量の良いブロンドの助手は弁えつつも、話が分かる。届きそうで届かない微妙な距離感。いい感じ。

持つと自動的に画面が大きくなる携帯電話、小粋なジョークをかますAIのアシスタント、ウィンウィン勝手に動くロボットアーム。全部良い。

そして、アイアンマンのデザインが最高。一見ダサい。赤と金色のサルみたい。

しかしながら、男子なら一度は夢想する装着するロボットは、具現化するとこうならざるを得ない。ゆえに格好いい。

 

アイアンマン(字幕版)

アイアンマン(字幕版)

 

 男はいくつになっても子供だって言う。

僕はバイクが好き。暑い日に走る公道はすごく気持ちがいい。時々トラックが出す暑い排気も、体が丸ごと外にあるのが実感できて嬉しくなる。たかだか排気よ。そんなんでもテンションが上がる。

4速までしかないギアだけど、ウィーン、ガチャ、ウィーン、ガチャ、って徐々にギアアップしていくのが、毎度毎度楽しくて仕方が無い。

格闘技だって、ただ人に暴力を振るうスポーツ。それが男子にとって特別な意味を持つ。強いことは良い事、強いは正義。大人の世界では一切通用しない論理が、男子の心の中では脈々と息づいている。そんなもん。

 

 女性の場合どういうもので子供心が満たされるのだろう。

ひらひらのワンピース。キラキラした髪飾り。過剰な包装のデパートに売ってるお菓子。そんなところだろうか。

 

人って結局のところ「自分の中にお住まいの子供とどう向き合っているか」が人格そのものだと思う。

真っ黒な服を着て、体のラインが出ないよう気遣う。下着や胸が露出するなんてとんでもない。そういう女性の知り合いがいた。髪は常にショートで、眼鏡をかけている。

他の人から見たらどうか分からないけど、トラウマの塊で、自分が嫌いで、人生が楽しくないですって言って回っているようなものに僕は見える。

恐らくだけど、彼女は誰よりもかわいい服装が好きなんだと思う。その裏返しで、真っ黒な服装をする。

ガウチョパンツを履いて、トレンチコートを着ることで、皆と同じになることが満足するってこととなんじゃなくて、子供の頃にやりたかったことって何なんだろうっていうのが大事。

それがたまたま他人と同じであっても、気にならない。

だって好きなんだもん。他人がどうとかそういう理屈じゃなくて、自分がそれを好き。

僕はユニクロのシャツを愛用している。値段も安いしアイロンがかけやすいしから気に入っている。前会った友人が全く同じのを着ていた時は「シャツ!同じ!!」って突っ込んだけど、気にしていない。好きってそういうこと。

 

子供の頃、「あなたにはそれは似合わない」とか、「これはダメ!!」って言われたのを今でも従順に守っている状態なんだろうなーと思う。

 

自分を支配しているのは、自分でしかなくて、自分を幸せにするのも自分しかいない。

そもそも、人間はコントロールすることに幸せを感じる生き物。幸せって、自分の中にあるものだから必ずコントロールできる機能があるはず。

幸せのゲージが、-100~100まであるより、0~100のゲージを持っていた方が絶対気持ちが良い。それがコントロールできるってこと。

 

そんでね、マイナス方向に振り切れちゃう人って、必ず自分が当事者だって意識が無い。会社でも、家族でも、人が2人以上集まれば起こり得る、当事者意識の欠如。

自分がそこに居ることを選んだはずなのに、いつのまにか無くなる当事者意識。

自分の選んだことじゃない(そんな訳ない)のに、〇〇さんが!!悪い!!私は!!悪くない!!そうやって、他人を責める。

このブログでよく書いているけど、他人は理解できない。理解できたと思っていても、それはその時、その場所においての限定のものかもしれない。お酒を飲んで、愚痴を話して理解し合えた!なんて思う人はいないのと一緒。その場の空気とかアルコールがそうさせたやつ。

そんでね、他人を責めてもダメだって思った人は被害者になり始める。被害者になる人は、他人が幸せだったり自信に満ち溢れていることが許せない。

「こんなに自分は苦しんでいるのに、なんであなたは幸せそうなの???」って状態。ここまでくると、自分でもわかりづらくなるよね。

自尊心満々→子供の頃の何かしら嫌なこと(ex.親からの叱責)→被害者のフリ→他人を貶めることで自尊心を保つ

 

こんな風に、階層を経てしまうと自分が本当はどう思っていたのか、本当はどうしたいのか、見えなくなっちゃう。更に言うと、被害者と叱責の項目はループする。叱責→被害者→叱責→叱責→被害者って。そのループはめちゃめちゃ辛い。この気持ちは自分が死なないと分からないんだろうかって思う程。想像を絶する苦しみよ。

僕がそうだったから痛いほど気持ちは分かるんだけど、結局自分のところに戻ってくる。だから自分で自分を分かってあげないと、いつまでも他人を責めて自分も責める。やめようぜ、こんなこと。

人にはいろんな夢がある。人はそうやって生きている。その夢が叶うのって、自分が自分で居られて、自分が自分を大好きで、自分が自分を一番わかっている状態でしか起こらないと思っている。

特に、女性は当事者意識の欠如とか、被害者になりやすいと思う。女性は守られるものっていう社会規範がそうさせるのもあるだろうし、遺伝子的にも保守的だというしね。

だからこそ、かわいい服を着よう。似合うからとか、体形がとか、流行りじゃないからとか、年齢がとかじゃなくて、自分を守るために着てみよう。