話を聞くことについて
昨日、初めてココナラというサイトに登録して、話をしましょう、ということをやってみた。
八島遼三郎が話を聞き、一緒に考えます 沢山悩みもがきました。心を言語化しましょう。
これが、そのリンク。
ココナラ経由ならお金がかかってしまうけど、今のところブログ、Twitter経由であればお金を取ろうと思っていないので、ひとつよしなに。
今日の記事は、話を聞くことについて考えてみようと思う。
色々批判されそうなことを書くかもしれないけど、実際の相手に掛ける言葉じゃない。僕が「こういう風に思ったという事実」としてみてもらえればと思う。
まず、話を聞くにあたっての僕のスタンスについて。
まず、相手が解決を望んでいるのか。そうでなくて、ただ聞いてほしいのか。これがどちらなんだろうって悩む。できれば明確であってほしい。そして解決を望んでいてほしい。
スタンスその2は、解決するのは自分であるということ。
解決するのは悩んでいる本人。これは揺るぎない事実。他人の力を借りても良いし、何をしたって良いけれど、最後には自分の力で立ち直ったという事実が必要。
その自覚すらしないと、僕と相談をするのは難しい気がする。お互いにとってお金と時間の無駄になってしまうかも。
言葉の裏側に隠された、「今、相手がこの行動をとっている」ことを受け止めるというスタンスもあると思う。現に今日の記事の冒頭で、その恩恵に預かとうとしている。
今回のことで言うと、「他人からすると大したことないことだとしても、こうしてお金を払ってまで聞いてほしいんだよ」という態度。
勿論、お金をかけてくれて有難い。けど、それによって本質的な態度は変わらない。それは立場が逆であっても同じ。僕がお金を払っている場合でも、金払ってるんだから~という態度はしない。あくまで同じ人間というテーブル。
お金をありがとうございます、という態度で居ればいる程、僕という存在はお金でしかなくなって、相手はお金にむかって話しかけている状態になる。それは僕はできない。
そんなことを考えていたら、急に電話が鳴り、とある人と会話をすることになった。
気の優しそうな、穏やかな語り口の男性。格闘技をやっていて、とある大会で負けてしまったことが悔しかったと。
僕からすると、状況が分からないし相手の気持ちも分からない。想像することはできても理解はできない。そうは言わないけど、本人以外からすると、そういうことだってこと。それが非常に重要なポイント。
だから、単に聞いてほしいっていう状態だと、僕は「うんうん」「なるほど」しか言えない。相手は言語化できたとしても、僕が出来ていない。それが大問題。
なぜかって、他人からすると、当人が悩んでいることなんて、大抵が大したこと無い問題。僕を含めた他人が、そう思っていること自体がとても大事だと思う。
だから「悩むのは分かるけど、大したことじゃないよ」。を上手く伝えたい。そして、これからどうするか、一緒に考えたい。
それが今のところの結論。
こうやって書くと、もの凄い厳しい人見たくなると思うんだけど、実際の僕はめっちゃ優しい。
自分と相手がどうやったら良いと思えるかに対して、真面目に向き合ったらこういう結論になった。