僕を考える

八島遼三郎です。心の言語化の場所としてブログを書いています。

決断から怠惰を構築す

決断をしたいなーっていつも思う。考えて、決断の洪水の真ん中に僕らはいつもいて、事象の中じゃないんだよなって思う。人は自分の中にしかいられない。悲しいけど。その自分と、外界の接点には必ず決断があって、そしてそれには排除がセット。それに伴う感傷とかもひっくるめて全部無しにせにゃならん。

僕がこれまでしてきた決断は、恐らく本当の意味での決断でなかった。自分の領域が曖昧だから、流されてふわふわして、ここじゃない何かやどうストレスから逃げるか、が主眼にあったんだ。きっとそれは選択じゃなくて、逃避だ。逃げて、逃げて、僕が規定した端っこにいて、ブレイクスルーを筋トレしたり寝たりして待っている。僕の中の強い誰かが「待つんじゃなくて穿ちにいけ」と言う。一方で体はいやいや違うでしょ、と言う。誰だ、お僕の決断に干渉するのは。ただ、自分の領域は自分で規定できるもんじゃなくて、ふわふわという規定があるだけで、既にふわふわな自分は構築されている。

旅の目的はなんだって友達に聞いた。もっと視野を広げたいんだ、そしたらやりたいことが出てくると思うと彼は言う。そう、きっと彼も自分の着地点を探してる。落ち着いて、自分のしたいことに集中して、かつ進歩しながら生きられる場所やもの。きっとそれが旅だし旅人なんだと思う。どこにも無いって分かっているのに、自分の中にしか無いって分かっているのに、自分以外の全ての場所を探しても見つからないって知っているのに。「俺は日本が一番だって思うために何十か国も旅をしたんだと思う」。おじさん旅人の言葉。

高校生の時、座右の銘を聞かれた友達が「楽をして生きる」と答えたら鼻の尖った国語教員はもごもごけしからんみたいなことを言った。もっともっと近道をしたい。当然だ。命の到達点は死でしかないなら、楽をしたい。むしろ楽をするために生きている。これから長い間生きるって確信してるから、答えに辿り着くのは後でいいやって思っているんだと思う。RPGゲームの全クリを目前に、もうちょいレベル上げしておくかとか、前のステージを繰り返してみるとか、そんなんに近い。

決断と挑戦と慣れと怠惰はハムスターがくるくる回すあれみたいに、素早く回る。そういうもんだ、っておじさんだから知っているけど、次の展開に移るにはどうにも心臓が痛い。心地いいから、漂っていたいから、だからその感傷に浸るまえにさっと変えるほうが楽だ。でも、できない。後ろ髪どころか毛髪全部を持っていかれるような、顔の表面が蕩けるような人のぬくもりと、日ごとにアホになる脳みそを生理食塩水で浸すような感覚。これぞ、怠惰のできあがり。