僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

うまく甘える方法は

僕は甘えん坊としてこの世に生を受けて、31年。未だそれが抜けきっていない。子供っぽさがかわいいとも書いてきたけど、それとは何か違う。「かわいい」が受け手を含めて成立しないのが「うまく甘えられない」。そんな風に考えている。

僕が当事者であるから、「上手く甘えられない」に関しての思考回路や意図などを書いていく。うまく甘えられない、甘えを受け止められないという人に読んでほしい。

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1.はしがき

長野県だけなのかもしれないけど、結構寒くなってきている。なので昨日は、しゃぶしゃぶを食べた。牛肉と豚肉を沢山。紅葉おろしを沢山食べて、消化を促す。

外食って良いよなって思う。誰かが作ってくれたものを、食べるだけ食べて、下げるのも皿を洗うのもしなくて良い。上げ膳据え膳。ただその場所に行って食べて帰るだけ。なんか、セックスフレンドみたい。それくらい物分かりの良く存在するのが飲食店。セックスの代わりに食べ物を出してくれる。僕らは行きさえすれば、もう割り切った関係が出来上がるように準備されていて、あとはもうそれに乗っかるだけ。

その後カラオケに行った。上田市のカラオケはどこも古い。建物自体が崩れ落ちそうなものばかり。だから自遊空間に行った。実はカラオケもあって、値段も変わらず施設はとても綺麗。

ボヘミアンラプソディーを歌う。口だけをあけて歌うんじゃなくて、喉、食道、気管、胃に至るまでを全部開くような感じで歌うと、フレディに近づける。過剰歯だった彼は、ぱっくり口が開くから内蔵から声が出ているんじゃないかっていうくらい、よく響く声が出る。体の機能が歌うのに適していて、それが天賦の才。

一緒に行った人は、最初私は聞くからと言う。でもそれじゃジャイアン。どちらも歌ってどちらも聞くのが良い。1時間半くらい滞在して、ギャル店員にお金を払い退店。

僕はお腹いっぱいになると眠くなる。カラオケが終わった時すでに23時を過ぎていたから更に眠くなる。

僕が甘えたくなる時は、弱った時。精神的なことはもちろんなんだけど、お腹いっぱいとか、眠いとか、酔っ払ったとかってなると途端にヨワヨワダメ人間になる。今思えば、父親も酔うと「りょんちゃん💛」とべたべたとくっつき、甘えてきた。遺伝なのか。きっついなこれ。

お腹いっぱいと眠気と疲労が伴って何となく甘えた感じになる。僕にとって何の得にもならない、未来につながらない行為。でも、止められない。

 

2.歪な台湾

双子の兄が書いているブログで「弟を自分が構って欲しいときだけ騒いで、何もないときは黙っている。」「付き合っても何の得にもならない」ようなことを書いていた。甘えた人(概念上の)ボックスに入れて、見ないことにするという結論だった。

一昨日と昨日のブログに出てきたホームレス状態の彼女も、僕が札幌にいた時の職場で知り合った彼も、きっと兄からするとこのボックスに入ることになる。

去年の6月、台湾に行った。妻と上手くいかなくてどうしようもなくなって、母が旅行でも行ってきなとお金を出してくれた。

ずっと1人で異文化の中を2週間。貧乏旅行だけど楽しかった。そのおかげかリフレッシュ出来て、日本に戻ってくる。その頃には妻との関係も少し良くなっていた。上手くいっていることに罪悪感があったせいか、母に帰ってきたという連絡が出来なかった。そうしていると、双子の兄から「お前めっちゃ失礼なやつだな」っていう趣旨の連絡が来ていて、返さずにいると件のようなブログを書いていた。Twitterもどうやらブロックされているらしい。

この話は、僕が「妻との関係大変だよ~~」って母に伝えて、母が「いったん逃げろ」と旅行へと促してくれた。基本的には、どういう結果であれ「(妻と)こういうことになりました」と伝えるのが筋であると思う。

けど、できなかった。母は、元々結婚に反対であった。反対させたのも僕からの情報や、僕とケンカした妻が母に見せた態度が「息子をやるわけにはいかん」と言うことだったと思う。

台湾の旅を単純化すると僕が親に甘えた形。でも、もう少し状況を踏まえて構造化すると「母親の言いなりになるための逃避」という側面もある。

だから、言い出せなかった。台湾に居る時、1人が寂しくてラインをしていたこと。帰ったら何となく会話が成り立っていたこと。その全てが母親を裏切ることになるから「便りが無いのが良い便り」という一般論を採用して有耶無耶にしようとしていた。

結局、母と僕と妻の関係はこの台湾の旅に象徴されるように、歪な三角関係。

僕が辛いというんだから親は元から反対であったのにもあり、助けを出す。その助けは、僕の心を整えるから、結果として目の前の人との関係を良くする。そうなると、目の前にいる妻と離れるべきと思っている母の期待には沿えない。3人のバランスをとるべき僕がその役目を果たせていない。

 

3.「甘えられない」事例

ホームレス状態であった彼女も、母との関係がうまくいかないから誰かを頼っている。一泊はさせたとしても、それが半永久となると話が違う。

この間、喧々諤々の話し合いをした彼も、同じなんだと思う。精神的に不安定な時には、概ね安定している友人にひどいことを言う。実際に会ってもその友人にとっては越えて欲しくないラインを軽々超える。数年前はあんなに仲良かったのに今は疎遠だという。

僕もそう。旅行に行かせてもらったんだから、報告くらいする。それが守るべきライン。だけど、できない。

きっと彼女、僕、彼の3人は、常識は常識としてある。けど目の前の状況に応じて、自ら判断したことに貴賤や価値判断なんて伴わないし、社会の言う常識なんて目の前にあるものからすると判断材料に含まれないのも事実。けど結果としては相手を不快にさせる。「せっかくしてやったのに」「ここまでやってやったのに」って相手に思わせる。

その時その場所において、辛いというのは確かにある。でも、その状況が変化した時に「自分がその時できる対応をしただけですけど?」という態度になってしまう。

客観視してみると「頭おかしいんじゃないの」と自分でも思う。でも、理由が必ずある。言語化し構造化することで、「うまく甘えられない」という事態を乗り越えたいと思う。

 

4.求めるのは無条件

甘えるのも、辛くなるのも突き詰めると愛情の不足に他ならないと思っている。

もっとうまくやって、より多くの人間から愛を得られる自分になる方法論を使うことが出来れば、そうはならない。けど愛情が不足しているがゆえに、その方法論を認知、実行できずに、「甘え」を受け止めてくれた人を傷付けてしまう。

岡田尊司さんの「愛着障害」シリーズでは、子供時代に養育者から愛情、甘えなどを無条件に受け入れられなかったことが、発達を阻害し、精神的な不安定をいつまでも引きずらせると書いている。

これまで挙げた、3人の事例も「愛着」の問題で説明が付く。

分別の付いた大人であれば、相手の心情に慮った「甘え」が出来る。だけど、無条件に甘えられる経験が不足しているために、「甘えられる」と思った相手に対して「無条件に甘えられるかもしれない」っていう希望を抱くんだと思う。だって、小さな試し行動を受け入れてくれているから。

彼女で言うと「妻が話を聞いてくれたこと」。彼で言うと「少しの悪口を笑ってくれたこと」。僕で言うと「旅行に行ってきなと言ってくれたこと」。そのどれもが、無条件であるという勘違いのトリガーを引く。

その限定的かつ、部分的なものでしか無いものを、無条件の愛情が不足しているがゆえに無条件の愛が得られると勘違いをして「何をしても自分は許される」という態度となり、結果相手を傷つけることにつながる。愛情の飢餓感があるからこそ、どんな小さな「甘えられる」相手に対しても「無条件」を望む。発情期の犬が、誰でも彼でも場所を問わず腰を振るのと同じように、人が生命を維持させるのに必要であるからこそ、極端に、貪欲に獣のように知的レベルを下げてまで「無条件」を欲する。

 

5.帰結無き帰結

僕らはどうするべきか。なんとかかんとかヨット学校に行って、肉体的、精神的に過酷な環境に置かれたのであればとりあえずは「甘え」は収まると思う。「世間は厳しい」「世の中そんな甘くない」という道理を強制的に学ぶことで、応急処置にはなると思う。そういう体験は、自分の心にカバーをかけて、辛いことや自分が欲していることにも目を向けなくなる訓練になる。「愛着障害」シリーズでいう「回避型愛着障害」へと変化していく過程となる。

受け入れてくれた人にとっては、「その人が」「その時」「その場所で」「訴えた内容が」という条件がある中で甘えを受け入れたのに対して、「無条件」を欲しがる僕らは諸条件を飛び越え、「受け入れてくれた」が直接「無条件に受け入れられる」となる構造。無理がある。

もう、鶏が先か卵が先かの議論。「無条件」に受け入れられる経験でしか、この「甘え」議論は解決できない。まず、その原因となったであろう人物に当たる他無い。それ以外は遠回り。

僕としては、まさにその最中。無条件のはずが、年齢とか相手の環境など、いつのまにか条件がついていて、そのギャップに苦しんでいる。

ただ、諦めきれない。ここまで来たからには引き返せない。闇雲に試行を繰り返しても徒に傷つく。だから、まず自分が変わろうとする他に無い。愛が欲しければ、愛を与える存在であること。「相手の役割や条件に応じて自ら変化すること」が愛なんだとしたら、僕が「無条件に」相手を受け入れるように変化していくしかない。

これが今日の記事の結論となる。

それはきっと「無条件」とはならないけど、とにかく試行してみる他ない。