僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

想像上の生き物

今日も日がな寝ていた。頭がぼんやりして、イライラする。出かける体力も気力も無い。

頭の働きが鈍いのが一番のストレス。論理的な思考と、ポンポンアイデアが思いつくのが僕なのに、今日の夜までは赤ちゃん帰りした高齢者の様に、何も考えられずに過ごしていた。

 

伊勢で倒れた時、すぐに親のことを思い起こした。あ、親に連絡しなきゃ、って。すぐ思って父には連絡をした。

父は、そんなことがあったのかって聞いてくれた。普段恥ずかしがって僕の話を聞かないから、嬉しかった。

 

そして上田に帰ってきてから、また寝込んでいたんだけど、今度は母親に連絡しなきゃなって思っていた。東京で別れて以来、連絡を取らないで大分経つ。

あれ、僕は死ぬ準備をしているのかって不安になる。

 

妻にもそう話すと、「電話してみたらいいじゃない」と。

久しぶりに母の番号を探してかける。7コールくらいで出た。気絶しちゃって、体調がおかしいんだって話をしたら心配をしてくれた。

3分間も話さなかったけど、母は「頑張っているのね」と僕の身を案じてくれていた様子だった。

 

電話を切って、もう一度両親を想像する。

 

前までは2人ともキツい顔をしていたのが、スッキリとした体格でニッコリ笑っている。父は2011年以降の枯れた姿で、母は今より若い姿。

 

あぁこのイメージを創るために、わざわざ三重まで行って気絶したんだなと思う。

 

父と母に心配してもらって、2人のイメージを書き換える作業。

これをするために、遠くまで行って、体調をおかしくして帰ってきたんだ。

 

それに気がついたら、今まで頭がぼんやりしていたのが、一気に無くなった。顔色も悪かったのに、急に良くなる。効果覿面。

 

一緒に住んでいるわけでない両親は、想像上の生き物に近い。自分に影響を与えたことが明らかなキャラクター。親。

その想像の部分さえ書き換えられれば、過去の難しい話も悲しい話も、自分の都合の良いように上書きできるんじゃないだろうか。

 

そんなズルいことができるようになるのが、大人の良いところ。

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これは知り合いが飼っている、想像上じゃない犬。