ダウンとアロマ
父親から、モンクレーのダウンが送られてきた。2回くらい着たけど仙台で使うには機能が高すぎて暑いらしい。
ありがとうと電話をしたら、なんと10万円以上するらしい。すごい。ダウンに10万。そしてそれを2回で譲る。
ちゃんとBEAMSの洋服カバーに入った、黒いダウン。とっても格好良い。着てみると、仙台では暖かすぎるのが分かる。ふと、腕当たりの匂いを嗅いだら洋ナシのような洋酒のような匂いがする。加齢臭だ。おやじ臭だ。
特別嫌ではないけど、自分もこうなるのかという悲しみに襲われるのと、もしこれを着ている時に美女とハグをする機会があったら躊躇ってしまう。それはアカン。
だから、匂いを取るスプレーみたいなので拭いた。取れない。もう一回掛けて放置してみている。
僕は、洗剤の匂いが苦手。柔軟剤を使いたい妻とは早くから別々にして洗濯している。今日は布団カバーと枕カバーとシーツとベッドパットを洗濯した。干すと、狭いベランダが布でいっぱいになっている。
僕の部屋はベッドと小型のテレビと本数冊とカメラしか置いていない。寝るだけだし物が多いと気が散るから。良く言えばシンプル。悪く言えば独居房。
思いつきで、瞑想用に使っているアロマオイルを入れた水をろうそくで温めて良い匂いを充満させるやつ(名前は分からない)を部屋でも炊いてみた。
何て言うアロマオイルか分からないけど、僕の中で母の匂いだって思っているやつ。
前にも書いたかもしれないけど、父と母のイメージが伊勢志摩で倒れてから変わった。
なぜかは分からない。以前はどちらも僕を嫌っているイメージ。けど今は、父は震災以降の枯れた姿で、母は今より若くて痩せている姿。どちらも微笑んでいる。両親が僕を認めてくれるんだったら、僕は何をしていても大丈夫って思えた。
この記事でも書いたけど、親に愛されたいっていう飢えで原動力にして生きることもできる。最近までそうやって生きようとしていた。
でも、僕は愛されているイメージに何故かなった。もう飢えてない。
倒れた以降続いていた、頭のぼんやりも治まっている。だから、僕は「満たされぼんやり」から「単純に満たされている人」になった。
きっと忘れっぽいから、僕は愛されているんだって入る度に気づくよう、ドアにダウンをかけて、アロマオイルを導入したんだと思う。