汚泥
しんどい。非常にしんどい。
何でって言われたら、込み入りすぎて言葉にならない。
今日もずっとベッドにいて、起き上がる気力が湧かなかった。昼も夜も無くなってきて、ぼぉっと出来ている時が1番楽。アルコール飲んだ時とか、コンサータ服用した時になる感じ。
アルコール依存になる人は、思考を止める依存なんだと思う。
あまりにも思考の自縄自縛がしんどくて、家にあるビールを呑みそうになった。
少し気温が下がってきたら、手首と背中と足に疼痛が走る。
普通なら誰かに相談、となるんだけど、家族も誰も僕を見限っていて、誰にも話すことすらできない。
思えば、人間関係がうまくいったことなんてなかった。
初めて付き合った彼女も、大学生の時に付き合っていた人も、僕の甘さに呆れて振られた。
父も母も、僕の良い部分しか見ない。こういうことがあったんだよって言っても、まるで僕のドロドロした部分が見えていないかのような振る舞い。
いや、それが大人の振る舞いだっていうのは分かるけど、いざしんどい時見ないフリをするのが家族なのか。
昔付き合った彼女も、父も母も同じ理由で僕を見限ったんだと思う。
そしてもう一個見限られ体験が増えそう。30年間ずっと誰かに見限られる人って、端的に言って障害じゃないのかね。これは明らかに社会適応できていない気がする。
僕は僕でしかなくて、適応できないのも僕。そうなんだけど、ほかの人が、普通に手足を使って生活しているのに、僕だけ手も足も無く生きているような感覚。努力とかでどうにかなるような話じゃない。
聾唖者がクラシックを嗜むようにはならないように、盲人がラッセンの絵を買わないように、僕が皆と楽しくやれない人生になりそう。
時に苦しんだり、時には受け入れたりして年老いて死んでいくんだと思う。
僕が前向きに生きるのには、何かを変えないと駄目になっちゃう。そう思いながら、明日も、日々に肉体が溶け込むような、ドロドロに堆積したヘドロみたいな中で生きる。もっともっと潜ったら、見限られない自分が見つかるんだろうか。