僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

無意識か顕在意識か

最悪な状況は脱した。風が吹いただけでも涙がちょちょ切れそうな不安定さだったけど、少し回復。ご飯を食べるのは大事。

 

最近、ユングとかフロイトの無意識系の本を読んでいる。

今日は河合隼雄さん「無意識の構造」

 

無意識の構造 (中公新書)

無意識の構造 (中公新書)

 

 

「無意識」とインターネットで検索すると、無意識をビジネスにつなげたサイトがまぁ多いこと。サブリミナル効果とかもあるように、人の意思決定を操れたらそりゃお金集めるのに使いますよねぇってことか。まぁ透明人間になったら僕も女湯に行くと思う。それと同じか。

ビジネスが悪いとか、宗教が悪いなんて毛頭言うつもりがない。僕が言いたいのは、肝心な情報が埋もれちゃわない?ってこと。

情報商材!!」ってピカピカして太くて黒い文字で書かれたのが出てくると、拒否反応。もしかすると良い情報なのかもしれないけど、そのサイトを閉じてしまう。非常に悲しい。

 

 

 

そんで、今日も無意識とか、そういうことを考えたり本を読んだり検索していたんだけど、ふと気が付いた。

・顕在意識は論理的思考。文章の整理を意識的に頭の中で行う。

・無意識は、思考を介在せずに行動を選択して行う。頭の中に文章は出てこない。

 

ある意味当たり前だけど、顕在意識と無意識の差。

 

論理的思考(顕在意識)によって人類は発展してきたと思う。論理的思考はすなわち科学であって、それは再現可能性。暗黙知、経験知に頼らない、言語によって叡智を伝える手段。

ビルの建て方を学ぶには、きっとその道の先任者がいてその人のやり方をマネするのが早い。僕はこっちが好き。人類の発展に寄与したいって思わない!?僕はめっちゃ思う。

 

一方で、無意識の言語化しない、不惑、不動の心の強さも分かっている。理由なんて聞かれたって無い、って言える強さ。好きだからやるんだよって言える強さ。逞しい。大工さんになんでその仕事やるんですか?って聞いたとして、「いや~実はねこれこれこういう理由があってねぇ」なんて冗長に返事が来たら、きっと変だなって思う。そういうこと。

 

当然、どっちか片方だけなんてことは言えない。切り替えが大事。僕は明らかに考えすぎだから、しんどくなる。