僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

分かり合いエクスタシー

今日も良い天気。乾燥した風が居間から僕の部屋まで吹き抜けて、湿度をどんどん奪ってく感じ。部屋でもちょっと暑くて、汗ばんでいる。おかげで肌はしっとり。

夕食の買い物に行ったら、よく行く中華料理店の女将さんがいた。あんなに安い値段なのに、普通のスーパーで豆腐とか、麺とか買ってるの!?まじごめん。

お店にいる時は忙しいから、感情が少ない。けど、お店の外で会うとにっこり可愛らしい笑顔だった。

そのお店の中華丼。美味しい。

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分かり合うって難しいって最近思っている。ゆえに、達成するとエクスタシー体験。

きっと皆分かり合うその快感を求めて、日々彷徨っているのかなって考えている。

 

いつか見たテレビで、ある家族が、通勤通学をするまえに「当たり前なんてひとつもない!わかってもらおうは絶対禁止!思いは言葉に!」みたいなことを全員で叫んでいた。ちょっと極端だけど、大事な認識。

 

 

 

他人が、自分についてどれくらい認識をしているかなんて分からない。自分でさえ、途方もない自分という生き物の情報をすべて把握して、それを統御できない。

 

でも、人間は楽をしたがる生き物。時間を一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、甘えと言う名の人付き合いを殺す化け物「言わなくても分かるでしょ」がエンカウントする。

確かに、時間が長ければ長いほど、どういう人間か提供できる情報自体は多い。けれど、その情報を相手が受け取って、自分に対しての行動基準に加えているかどうかは確かめようが無い。

ただでさえ込み入った事象である、「分かり合う」っていうものに、確証バイアスなんてややこしいものが加わるともう面倒すぎる。

それくらい、他人を理解するという行為は、人間が処理できる情報量を越えていると思う。

 

 

同じ趣味嗜好を持った人同士が、運命的に出会う。語っても大丈夫だし、語らずとも分かり合える。そんな素敵な関係。「分かり合う」。

そんな現象が、一番出現しやすいのはヲタク仲間だと思う。そういう方々っていつも喋っている時楽しそう。きっと彼らは分かり合える快感を覚えているんだと思う。

 

僕は僕で、自分が今生きている社会とか、命とかに関して思う事柄を分かり合いたいって思っている。未だ快感を感じたことは無い。切実にエクスタシー仲間が欲しい。