僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

真摯とは

昨日は妻が知り合いと夕食を食べに行った。じゃあ僕もということで、友達を捕まえようと思ったんだけど捕まらず。

1人で中華を食べに行った。

台湾人夫婦がやっている、20年以上はやっているお店。

豚肉と卵とキクラゲの炒め物だったんだけど、これが非常に美味しい。油が新しかったか、ハイミー的な旨味の素を変えたかしたんじゃないだろうか。

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このお店は、値段設定がおかしい。1番安いものだとバンバンジーが大盛りご飯付きで480円。税込。

メインが8つの中から2つ選べる、日替わり定食は580円。

宴会をやると、料理を頼むまでもなく4ー5品の前菜が付いてくる。大根で作った鳳凰みたいなのも一緒。

知り合いとは、あそこの店は時空が歪んでいて通貨レートが違うんだよね、って話をしている。

 

きっとお店のおばちゃんも、気の優しそうなおじちゃんも真面目。真摯。

 

真摯さってなんだろうってすごく思う。

 

安い値段で、中華鍋を沢山振ってお客さんに来てもらっての連続を20年以上。おじちゃんは時々腕に湿布をしてる。

おばちゃんも余裕がない時はぷりぷりしてる。(それもかわいい)

経営の状態とか方法はわからない。

定休日もなく、午前11時からランチ。夕方から深夜までディナー。たとえお金があったって、使う暇もないしきっとそんなに無い。

 

真摯にお客さんに向き合うって、安くすることなんだろうか。

真摯に料理に向き合うって、腕に湿布してまで鍋を振ることなんだろうか。

 

真摯に物事と向き合うって何だ。

 

それが苦悩することだったら、彼らはそうだろう。

トライアンドエラーし続けることか。だとしたら毎日が体力と気持ちへのトライだと思う。

 

苦悩もトライアンドエラーも繰り返して、ルーティン化することで他人から見ると辛いことも、平気に黙々とこなしているように見えると、「真摯だね」って言葉になるんだと思う。

 

だから老舗の料理屋で交わされるであろう「長いことやってすごいね!」

その言葉は、磨耗して会得したストレス耐性の裏側を、わざわざ覗き込むこと。

だから主人は「いや〜やってきてるだけですよ」なんて答えるんだと思う。

 

すごいね!とか、まじめだね!とか、もうやめようか。