僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

正直の種類

昨日の夜は、スープカレーを作った。

前回、前々回はさっぱり目。今回は、ちょっと濃厚な味にした。

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トッピングは揚げたレンコン、甘辛く煮てから揚げたごぼう、炒めたピーマン。濃い味に合わせるには、油が多いものが載っているほうが良い。

このスープカレーの作り方は、僕の兄がやっている「南インド屋」の真似。


魔法の粉でスープカレー

 

身内贔屓になっちゃうけど、アレンジもしやすいし、非常に簡単で美味しい作り方。

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ある人に、「あなた言ってること本当じゃないでしょ!?」って言われた。

反証だ。

僕は、自分の嘘のつけなさ、正直さは障害レベルだと分析している。

 

嘘を吐いた方がうまくいく場面も、大人なら沢山ある。僕にはそれができない。それができないから、今の僕がいて、明日にも不安は過るだろうし明後日もそうだと思う。

 

利害関係とか、損得の都合で嘘を吐いた方が良いってのも理解はできるんだけど、いざ自分がやるとなると、概ね65%以上本当のことが混ざってないと僕の体が嘘と判定して、言えなくなる。

30年以上、そんな風に生きてきている。

やりたくないことは、やりたくないし、できないことはできない。できることはできるし、できることをこれからもっともっと増やしていきたい。

それは、嘘じゃない。

 

けども、神に誓ってとか、嘘ついたら針千本飲ますとか、実際には意味が無い。

相手からすると、そんなものでは担保されなくて、どう思うか、どう印象付けられるかが問題であって、強い虚勢の言葉は、そのまま自信の無さ。

本当に相手の気持ちに対して正直であれば、相手の望む納得の言葉を与えるんだろう。

 

一方で、未来なんて担保しようが無いのも事実。事実に対して、正直・誠実であればあるほど、未来に保証はできないという事実から目を背けられない。

実際のところは、誰も未来なんて誰も保障できないけど「この家は100人乗っても大丈夫ですよ!」ってイナバの営業マンは言うだろう。(それは科学的根拠があるんだろうけど)

 

言葉をそのまま意味の通りにしか取れない正直さと、「この人が望んでいることはこう言ってほしいことだな」っていう(嘘を吐けないという意味の)正直さ。

愚直に本当を見る人と、相手と自分にとっての都合のよさを選ぶ人。

 

迷ったら両方!というのが、八島家のルール。愚直さだけでも駄目だし、都合の良さだけでも駄目。それぞれの良いところしかとらない。

愚直さも、都合の良さも含めて、自分に対して正直で居続ける。それが今の僕の結論。 

 

自分の正直さに捉われているから、嘘なんて吐く脳の余裕は微塵も無い。