生きるのがしんどい時
生きるのがしんどい時、僕は沢山ある。
そんな時どうするかを考えてみる。
しんどい時、人は往々にして思考が加速しすぎて飛躍している。
何か嫌なことがある→しんどい→死んでしまいたくなる
みたいに、しんどい原因は必ずあるのに考えて考えて、どうしようもできなくて、それが辛くて、それを感じる自分が嫌で大元である自分の命にまで考えが辿り着く。
テレビのコンセントを抜いちゃえば悪い映像は流れないって発想。
「しんどい」「死にたい」は、起きてしまった嫌なこととは別次元のことであって、極端にいうと関係が無い。
だから、一旦停止させよう。辛かった出来事を反芻するのも、飛躍しちゃう思考も。
僕は、そういう事態になったら寝ることにしている。全部捨てて寝る。
そうすれば思考は一旦止まって、奈落の底に自らを追い込む考えは少し和らぐ。
悪い映像を流すテレビは、待機状態にしよう。
寝られない人もいると思う。状況がそれを許さないとか、色々。
その寝られない状況と、死にたいくらいしんどい状況、どっちが優先されるだろうか。
僕はわからないけど、きっと死にたくなるくらいの気持ちになる以上に優先されることは無いと思う。
思考が発達している人が、思考を加速させやすい。思考を大事に思っているからこそ、死にたいとまで考えが及ぶ。
だからそう考えられている人は、すごく優秀な人だと思う。
思考が大事で、優秀な人だからこそしんどいし死にたくなる。だとすると、その大事な思考と優秀なその人自身を殺しちゃうのは、悲しい。
太宰治が玉川上水に入水したのも、藤村操が華厳の滝に投身したのも、優秀がゆえ。
だから一旦止まろう。思考と体、優秀なあなた自身を労う意味でも、止まって良いんだと思う。
思考は、結論が「死ぬ」だと殆ど答えは出ない。多分自己防衛本能で、そう結論に至れないようになっているんだと思う。
グチャグチャした思考は、結論が出ないもので、真面目に取り組めば取り組むほど絡んだ糸は解けなくなってくる。だって結論が死ぬことなら、答えは出せないから。残るのは、思考に疲れてしまった体だけ。
取り組むだけ無駄なこと。穴を掘って、またその穴に掻いた土を入れる作業。終わりは永遠に来ない。
寝て、起きて、それでも考えちゃうなら僕と一緒に考えよう。
理解なんてできないし、話を聞けるかわからない。一緒に考えることしかできないけど、そんな方がいればツイッターでもなんでもいいんで連絡をください。