僕を考える

心の言語化の場所としてブログを書いています。

命なんてもの

今日はいつもと違う感じになっちゃう。

おじさんがしんどいのをポエムにしてダラダラ書いているだけだからスルーした方が良い。

それでも読むよという人は、以下をご覧あれ。

 

 

 

 

 

鬱症状がひどい。朝方3時4時まで起きていて、眠るためにストロング系チューハイを飲む。ヘロヘロになって意識が遠のいた時が一日で一番状態が良い。

何をするにもやる気が起きない。食欲も無いし性欲も全然無い。ブログだけでも書こうと思ってパソコンを開いても、全く進まない。普段なら笑えるラジオも全く面白くない。というか興味がなくなっていて、何も見るものが無い。

1時間に1回くらい希死念慮が猛烈に襲ってくる。もうそんな感情もハイハイいつものやつね、と思うんだけど体がだる

くなって、寝込んじゃう。

疲れたなー、死んじゃいたいなーと思うけどいざバイクに乗っても青の炎の主人公のようにうまくいかない。だから無理矢理出かけて無理矢理帰ってくる。

こりゃやばいね。うん、どうにでもしてくれって思うけど、そんな労力を割いてくれる人は僕にはいない。

自分のせいなのかーって思うけど、もしそうならもうどうしようもない。でも他人のせいでもない。そんな思考をぐるぐる行ったり来たり。

これがちゃんとした大人になる通過儀礼なら厳しすぎる。フルメタルジャケットの教官に絞られるより断然しんどい。教官は隊員に興味があるし、教えようって気概がある。

少しだけ窓のある独房にいるみたい。

窓から見える普通の人たちは、楽しそうに見えている。周りの人は1人の僕を小さい窓からちょっとだけ覗く。でも僕が落ち込んでいることなんて知らないから、素通り。自己完結の世界に入らざるを得ない生活。生きることは曖昧に保証されているけど、無明の世界に時折見える、ちょっとの希望には手が届かない。見えたそれを必ず掴もうとして虚空を握りしめるけど、手には垢しかたまらない。

お金である程度解決する。3億円あったらこの孤独も希死念慮も、心の端の方に追いやれる。そういう意味でお金は大切。苦しみを麻痺させるのがお金であり、それを使って買える商品。

お金とかサービスはずっとずっと流れ続けていて、動きを止めない。昨日の夜見に行った川は、深夜でもジャバジャバ動いていた。僕の血管中にある血液だって流れがあって、1秒も止まっていない。ただ世界から置いていかれているのは僕の心だけ。想像の産物。止まりようが無いはずなのに、止まっているって誤認する。

昨日、近くの美術館に行った。両腕を失った画家。紹介されている新聞記事には必ず「幼い頃高圧電線に触れて両腕を失う」と書かれている。不具だから、カタワだからっていうパーソナリティ。そんな悲しみを乗り越えてこんな絵を描いている不屈の精神。そんなハートフルなストーリー。羨ましかった。僕には語るべき大変なことも、パッと見える不具も無い。人生においての礎石になるような、転換になるような、印象的なことがない。何も起こらないことが何よりの恐怖。死んだ川は流れを止めているし、命を落とした人の血液はもう動かない。生きているのに、体のほとんどが壊死しているんじゃないかって想像する。でも素足で履いたスニーカーはちゃんと臭くなるし、トイレにだって行く。その事象をもって生きているって感じる。

命について考えちゃうと、あんまりよろしくない。こち亀でも「まず生きるって決めてから判断するんだ」って両さんが言っていた。ただ、僕の心はやっぱり死んでいて、体が動いているだけだって思う。頭が働かなくて、論理的な思考もできなくて、AだからBをするっていう単純な様式さえもままならない。ただただ西友で買った鶏胸肉を材料にして、骨髄が作られた血液を、心臓が律儀に動いて巡らせているだけ。心臓が血液を循環させるように、心も毎日毎日ネガティブなことを吐き出してポジティブに替えて欲しい。心は胸の真ん中には無くて、何なら体の中にも無い。

生きたい、じゃなくて死んでない。それが命の本質。生きているという究極の結論の前には、死にたいも辛いも卑小なこと。部屋に落ちている一個のチリを見つけて世界が終わるかのような大騒ぎをしているみたい。でも、だから、形にしたい。生きているから、死にたくなったり辛くなったりする。戦争に赴いた人だって生きようと思って、銃を握りしめたんだと思う。前提からは逃れられないんだけど、前提だから語ったり問いただしたりしちゃいけないんだ。生きているから、人だから、男だから、女だから、ゲイだから、そんな前提は話さなくていい、気にしなくていい。そんな前提を持ち出すと、全くもってつまらない。命があって、生きているそれが前提。その前提の話も、想像もしたくない。だって当たり前のように生きているから。今この時を生きていて、これを書いているから。

誰が何のために、生の矛盾に僕を産み落としたんだろうか。生きている前提と生を問い詰める矛盾。

生きているのに、生きることを問い詰める。カレーを食べてるのにカレーなんて嫌いって言うみたい。まず自分が食べていることを受け入れろという話。ネクロフィリアみたいな生き方。生きているのに死んだ人しか愛せない。死姦愛好者。

 

こうやっている間にも、嫌いなあいつは世の中が求めるステキなことを言って、自分がステキだって確認してる。悠長に美味いものを食んで悠々と自己肯定感を高めている。クーラーが室内を冷やして、室外機が外に熱を放出するみたいな食い違い。汚染されているゆえに汚染が進む。ひとつのステキはひとつの不幸せを生んで、ポジション別に割り振られる。幸せなところにステキを。不幸せなところに呪いを。実にくだらない。素晴らしくくだらなきかな、命なんてもの。生きることも死ぬことも愛することも、全て言葉にするには惜しいほどに当たり前で、脈々と存在して、コツコツ続いている。